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立川志の輔

一日一回、喜怒哀楽!

立川<span>志の輔―</span> 

いまもっともチケットが取りにくいといわれる
落語家の一人が立川志の輔
古典、新作という枠を超えた
志の輔落語の魅力と秘密に迫る――

木村― 入門されたのが二九歳ですね。相当遅いと思うんですが。

志の輔― 遅いですね。いまでこそ、うちの弟子でも二〇代後半が当たり前になって、この前、三五の弟子希望者が来ましたけど、さすがにまいりましたですけど。私のころは、ちょっとこいつはおかしい、よっぽど社会に当てはまらなかったに違いないと思われました(笑)。

木村― 大学を出て、広告代理店へ就職なさったようですけど、このときの体験というのは生きていますか。

志の輔― そうですね。例えば高校卒業して芸人になった人というのは、パッと会うと芸人の空気がものすごくあるわけです。それはとても良いことだと思うんですが、私はなまじ広告会社にいたり、劇団にいたりしたもんですから、体に芸人らしさとか落語家らしさなんていうのは見事にしみ込まなかったですね。
 その逆に、テレビでレポーターやっていても、なんか普通の人みたいに思っていただいて、それからラジオでしゃべっても落語口調を一切使わずに普通にしゃべることができたものですから、使いやすかったのか、意外と早くから、そういう仕事ができましたね。

木村― 落語家を志して立川談志師匠を選ばれたわけですが、どうして並いる師匠がいらっしゃった中で、談志さんを選ばれたんですか。

志の輔― それはよく聞かれるんですけど、僕は古典落語という・作品・を語りたいというのが一〇〇%じゃなかったからでしょうね。落語というものを通じて、なにかをしゃべっているというのがいちばん明確にわかったのが、うちの師匠・談志だったということだと思います。

木村― なるほど。

志の輔― ですから何々という作品をやりたいとか、落語だけをやりたいとかではなくて、落語がメインではありますけど、この落語を通じて、なにかおもしろいことができるかなと、ワクワクさせてくれたのが、わが師匠だったと思います。

木村― それで意を決して入門なさって、すぐに談志師匠が落語協会とうまくいかなくなって、寄席に出られなくなったわけですね。そうするとお弟子さんとしては前途真っ暗じゃないですか。

志の輔― それなんですよ。兄弟子はみんな寄席で育ってきた人たちなので、この方々のショックはすごかったらしいんですよ。「らしいんですよ」というのは、私はまだ寄席には入っていなかったものですからね。
 以前ならインタビューで「大変だったでしょうね」と言われたら「いや、ほんとにどうしていいかわからなかった」というようなニュアンスも言っておかないといろいろと差し障りがあると思っていました。ですけど、二五年過ぎたので本当のこと言いますと、僕は「あ、おもしろい」って思ったんですよ。二九歳で落語家になろうと思って、入った途端に、師匠がいままでの流れをすべて断ち切って、寄席から脱退する。これはなにかあるなと思うぐらいに、内心ワクワクしてたんですよ(笑)。

木村― そうですか。

志の輔― この前、師匠・談志と対談したときに、いまのことを初めて言わせてもらったんですけど、師匠は、「そうだろうな、おまえなんかそうかもしれない」と言ってくれました。

木村― どういう師匠なんですか、談志師匠というのは。

志の輔― そうですね、落語と自分の一致を目的とし、そうならない部分のところに苛立ちながら、とにかく全身落語という、人生落語という生き方、暮らし方、考え方ですね。例えば名人の古今亭志ん生(五代目)のように落語と人生が一致した状態にだんだんなってきていると思うんですね。だから国会議員になったこともきっと落語のためで、国会議員になってみると、見えるものが違って、落語家として語ることも違ってくるかもしれないという、そういうアプローチなんですよね。
 ですから、そういう天才の弟子になって、最初に自分に誓ったことは、師匠から教えてもらうエキスは吸収してもいいけど、真似はしちゃいかんということですね(笑)。

木村― 寄席に出られなくなったときに、師匠は出る場所は自分で見つけろとおっしゃったわけですか。

志の輔― そうです、そうです。「聞きに来てもらいたかったら、やたらかまわず頭下げるとか、ダイレクトメールを出すとか、なんかしろよ。落語家だけだ、うちに座っていて、どこから電話がねえかな、なんて思っているのは」って、最初に言われましたもの。

木村― そうですか。

志の輔― 「天ぷら屋やそば屋に入っていって、『すいません、二階の座敷で落語やらせてもらえませんか』といえば、一〇軒訪ねれば、五軒ぐらいは、『おまえの意気込みにまいったから、とりあえず一回やってくれ』って言うはずだよ」って言われましたですね。だから、いろんな落語家さんもいろんな空間でやっているでしょうけど、私ほど種々雑多な空間でやった人間もいないでしょうね。海の上でまでやりましたから(笑)。

木村― 海の上で?

志の輔― はい。フォークシンガーのコンサートで、歌の前に一時間ぐらいで落語やってくれないかと言われて、現場に行ったら海の上にステージが浮いているんですよ。その浮いている上に座布団敷いて落語やるんですよ。高座の前は海で、お客様は砂浜のパイプイスに座っている。それで夜なものですから、自分にだけライトが当たっていて、砂浜に客がいるかいないかもわからない。しゃべった言葉も全部風に流れていく。最悪の会場でしたね(笑)。

木村― ハハハハハ。

志の輔― いやあ、いい思い出ですよ。路上で、歩行者天国みたいなところでもやりました。それから銀座に電機会社のオーディオハウスみたいなところがありまして、そこで昼間に、いい音楽を流しているんですよ。お客さんは新聞や雑誌を広げながら音楽を聞いている。そこで月に一度落語やってくれと頼まれたんですけど、お客さんは音楽を聞くために来ているわけですから、新聞畳まないんですよ。「チクショー、新聞を畳んでおれの顔を見るまで、毎月やるぞ」といって、六、七年やりましたですね。まあ結局、新聞や雑誌を畳んでくれるようになりましたけどね。
 やはり師匠・談志には、一つの場所でずっとやるという伝統も大事ですけど、自らが動いていろんなところでしゃべってやっていくということも大事だという先見があったんじゃないですかね。現にそれが血となり肉となっていますからね。私の弟弟子もみんな。

木村― それは海の上でやったら怖いものなしですね。あとは動物園ぐらいしかないですね(笑)。やはり、その師匠を選ばれたのは正解だったんですね。

志の輔― はい。天才のそばにいるんですから、いろいろとんでもないことが起きますけれども、正解でしたね。あれだけ落語に惚れていても、時代を見て落語のことを考えているという師匠は、いないでしょうね。