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井筒和幸

書を捨てて町へ出た!

井筒和幸

『ゲロッパ!』『パッチギ!』と次々に話題作を作り続ける井筒和幸監督
今回は、その原点を探るべく、デビュー当時のお話をうかがった。
舞台は、一九六八年の奈良・大和郡山――

木村― 井筒さんは奈良ご出身でしたね。
井筒― 大和郡山です。
木村― 高校は県立奈良高校ですから、進学校ですよね。
井筒― まあそうですね。僕は郡山高校へいこうと思ってたんですよ、近所やしね。まあ、チャリンコで行けるんじゃないかと。
木村― 郡山高校もいい学校でしょ。
井筒― 郡山高校というのは、旧制郡山中学で、昔からある伝統的な高校。甲子園にも出よるし、学業もしてるし、郡山城址のなかにあって風光明媚だし、あそこでええわと思ってたんですよ。僕はほんと、教師になって十津川村かどこかの分校でね、一年生から六年生までで二〇人ぐらいのクラスでノンビリ教えたかったんですね。夏休みも冬休みもあるし、それで過ごせれば、それがいちばんいいことやと。そんなことを中三のときは思ってたんですよね。
  思ってたんですけども、中三のときに、運動場で遊んでて、足首を骨折してもうて。そのときに、担任の先生がね……国語担当の担任だったんですけども、文学青年で、演劇部の顧問なんかもしてる先生で、親しかったんですよね。その彼が、「井筒君、郡山高校より奈良高校へいけ」と。「そこで学ばないとだめだよ。もうちょっと目を開け。田舎の城址がいいとかいってるよりも、もっとひろく思え、世の中を、社会を」ってなことを言いだしたんですよね。まさにそういう言い方で。僕はああなるほどなと思って、それで、池で遊んでるより、ちょっと湖ぐらいには出なあかんのかなということですよね。
木村― 奈良高のほうがレベルは高かったんですか。
井筒― もちろんそうですね。奈良高ってなかなかいけない高校でしたから、やっぱりちゃんと勉強しなきゃだめだなと。それで二学期から真面目に勉強して、なんとか受かったんですよね。
木村― その先生がやっぱり潜在力を見抜いたということですね。
井筒― かも分からないですね。まあ、その先生が言いたかったのは、君は郡高を出て教育大へいって先生になろうと思ってるだろう、でも奈良高へいくと、先生という一枠もあれば、また別の枠もある、いろいろあるよと、そういう意味だったんですね。それで奈良高に入ってみたら……枠がいろいろあると、急に思うようになったんですよね。
木村― なるほど。
井筒― それがまさに『パッチギ!』の時代ですね。映画では、高校二年生、三年生の話ですけど、僕はそのとき、高校に入ったばっかり。だから、中学三年生のときに「イムジン河」をラジオで聞いて、で、その曲の発売中止は「PM」かなんかで知って、そのまま高校へ突入、となるわけですね。一九六八年。これはいろんなことが起こりつつありましたからね。まあ映画のとおりですけど。僕もほんとにいろんなことが見えてきて、それだったらもっと違うことをしたいなというので、さらに映画を加速して見だすんですよね。
木村― 奈良高というのはどこにあるんですか?
井筒― 法蓮町といって、あの朱雀門の、新大宮のもうちょっと上(カミ)ですね。
木村― その近所には映画館、ないでしょう。
井筒― ないですね。映画館はもちろん奈良。だから学校終わると、というかサボると、奈良に出て、猿沢池あたりに三つ四つあったんですよ。よくはしごして見てましたね。大阪でしかやってないような映画は近鉄線に乗って難波へ出てましたけど。
木村― ご両親にしたら、奈良高へ入って当然教師になるなり公務員になるなり、上を目指すなり……そう思ってらっしゃったでしょう。
井筒― 思ってますよね。でも僕は高校二年生ぐらいになって、もう教職の気持ちはないと言い始めて、それで親は教職が嫌なら、いろいろあるじゃないかと。
木村― まあ普通の良識ある親やったら言いますよね。
井筒― 言いますよね。でも僕は「そうやないんや。全部否定したいんだ、あなたの思っている価値観もなにもかもひっくるめて、世の中の価値観が新しい価値観に変わろうとしているときだ」ってなことを……昔なんでどういうふうに言ったか分からないけど。そういうことを夜な夜な話をしてたんですよ。でも、ぜんぜん話があわなくて、にっちもさっちもいかないで、僕は家出をしたんですね。