東海道本線
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東海道本線(とうかいどうほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から兵庫県神戸市中央区の神戸駅までを結ぶ鉄道路線(幹線)である。東京駅 - 熱海駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)、熱海駅 - 米原駅間は東海旅客鉄道(JR東海)、米原駅 - 神戸駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄となっている。
目次 |
[編集] 路線データ
- 管轄・路線距離(営業キロ) : 全長713.6km(支線含む。東京 - 神戸間は589.5km)
- 東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者) :
- 東海旅客鉄道(第一種鉄道事業者) :
- 西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者) :
- 日本貨物鉄道 :
- 第一種鉄道事業区間 :
- 山王信号場 - 名古屋港駅間6.2km(通称 : 名古屋港線)
- 吹田信号場 - 大阪貨物ターミナル駅間8.7km(通称 : 大阪ターミナル線)
- 第二種鉄道事業区間 :
- 品川駅 - 熱海駅間 (97.8km)
- 品川駅 - 新鶴見信号場間 (13.9km)
- 東京貨物ターミナル駅 - 浜川崎駅間 (12.9km)
- 鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 東戸塚駅間 (16.0km)
- 鶴見駅 - 八丁畷駅間 (2.3km)
- 鶴見駅 - 新興駅 - 東高島駅 - 桜木町駅間 (11.2km)
- 熱海駅 - 米原駅間 (341.3km)
- 南荒尾信号場 - 関ヶ原駅間 (10.7km)
- 南荒尾信号場 - 美濃赤坂駅間 (1.9km)
- 米原駅 - 神戸駅間 (139.0km)(北方貨物線経由)
- 吹田駅 - 梅田駅 - 福島駅間 (8.5km)
- 第一種鉄道事業区間 :
- 軌間 : 1067mm
- 駅数 :
- 旅客駅 : 164駅(JR東日本34駅、JR東海81駅、JR西日本49駅。起終点駅含む。品川 - 新川崎 - 鶴見間、大垣 - 美濃赤坂間以外の支線の駅を除く)
- 貨物駅 : 14駅(旅客併設駅を除く)
- 複線区間 :
- 複々線以上(在来線※) :
- 東京駅 - 小田原駅間 83.9km
- 名古屋駅 - 稲沢駅間 11.1km
- 草津駅 - 神戸駅間 98.1km
- 複線 :
- 小田原駅 - 名古屋駅間
- 稲沢 - 草津駅間(南荒尾信号場 - 垂井駅 - 関ヶ原駅間は、上り本線と単線(通称 : 垂井線)の並列)
- 品川駅 - 新川崎駅 - 鶴見駅間
- 浜松町駅 - 東京貨物ターミナル駅 - 川崎貨物駅 - 浜川崎駅間
- 鶴見駅 - 八丁畷駅間
- 鶴見駅 - 東高島駅間
- 鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 東戸塚駅間
- 吹田駅 - 梅田駅間
- 吹田駅 - (旧・宮原操車場) - 尼崎駅間
- 単線 :
- 入江信号場 - 新興駅間
- 東高島駅 - 桜木町駅間
- 山王信号場 - 名古屋港駅間
- 南荒尾信号場 - 美濃赤坂駅間
- 南荒尾信号場 - (新垂井) - 関ヶ原駅間(下り専用の勾配緩和別線)
- 梅小路駅 - 丹波口駅間
- 吹田駅 - 大阪貨物ターミナル駅間
- 梅田駅 - 福島駅間
- 複々線以上(在来線※) :
- 電化区間 :
- 山王信号場 - 名古屋港駅間を除いて全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式 :
- (複線及び単線)自動閉塞式 : 下記以外
- 車内信号式(ATC方式) : 東京 - 品川 - 横浜間の山手、京浜東北線区間
- 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式) : 吹田 - 大阪貨物ターミナル間
- タブレット閉塞式 : 八幡信号場 - 名古屋港間
- 運転指令所 :
- 最高速度 :
- 東京 - 大船間・小田原 - 豊橋間 110km/h
- 大船 - 小田原間・豊橋 - 米原間 120km/h(南荒尾信号場 - 垂井 - 関ヶ原間(通称 : 垂井線) 85km/h)
- 米原 - 神戸間 130km/h
※注 : 上記は在来線部分のみを純粋に見た場合を示す。 東海道新幹線は「東海道本線の線増」として建設されたため、その点から言えば支線を除いて全区間「複々線」となる。なお、JR線路名称公告では東海道新幹線および山陽新幹線(新大阪駅 - 新神戸駅)を東海道本線の名無しの「支線」として扱っている(1982年の東北新幹線開業以前は完全な線増扱いであった)。一方、基本事業計画や国土交通省監修『鉄道要覧』では別の路線として扱われている。
なお、支社毎の管轄区間は以下のように分かれている。
- 東京 - 蒲田間、品鶴線・品川 - 西大井間 … JR東日本東京支社
- 川崎 - 熱海間、品鶴線・新川崎 - 鶴見間 … JR東日本横浜支社
- 熱海 - 新所原間(熱海駅構内除く) … JR東海静岡支社
- 二川 - 米原間(新垂井線含む。米原駅構内除く)、美濃赤坂支線 … JR東海東海鉄道事業本部(直轄)
- 米原 - 吹田間 … JR西日本京都支社
- 吹田 - 尼崎間(吹田駅構内除く) … JR西日本大阪支社(直轄)
- 尼崎 - 神戸間(尼崎駅構内除く) … JR西日本神戸支社(直轄)
なお、会社境界駅については、熱海駅はJR東日本、米原駅はJR西日本が管理する(ただし、東海道新幹線の駅施設は両駅を含めすべてJR東海が管理している)。
[編集] 概要
日本で最初に開業した鉄道である新橋駅(後の汐留貨物駅) - 横浜駅(現在の桜木町駅)間を含み、東海道(厳密には一部は美濃路・中山道)に沿って東京から神戸までの沿線都市を結んでいる。
定期的に旅客営業を行う支線として大垣駅 - 美濃赤坂駅間(通称「美濃赤坂線」)、大垣駅 - (新垂井) - 関ヶ原駅間(下り線の勾配緩和のための別線。現在は下り優等列車のみが通過)、現在横須賀線として運転される品川駅 - 新川崎駅 - 鶴見駅間(通称 : 品鶴線)が存在する。その他首都圏、名古屋近郊、京阪神地区に多数の貨物支線(東海道貨物線など)が存在する。
東京近郊や京阪神地区では電車線が並走している(東京駅 - 品川駅間で山手線、東京駅 - 横浜駅間で京浜東北線、京都駅 - 西明石駅間で東海道・山陽線普通電車。いずれも東海道本線の電車線)。東京近郊においては列車線が快速列車のような位置付けとなっており、一方京阪神地区では通過を主とする特急列車、新快速と貨物列車が外側線を、快速と普通電車は内側線走行をする混合的な運用形態を取っている。
JR西日本の管轄である米原駅 - 神戸駅間は区間ごとに路線愛称が付けられており、米原駅 - 京都駅間は琵琶湖線の一部、京都駅 - 大阪駅間はJR京都線、大阪駅 - 神戸駅間はJR神戸線の一部となっている。ちなみに、山陽新幹線側では、新大阪駅到着時の車内放送で上記愛称で乗換案内を行うが、東海道新幹線側では「東海道線」を用いている。
東京駅 - 熱海駅間は東京近郊区間、米原駅 - 神戸駅間は大阪近郊区間に含まれ、東京近郊区間の東京駅 - 大船駅間・品川駅 - 新川崎駅 - 鶴見駅間、大阪近郊区間の京都駅 - 神戸駅間が電車特定区間に含まれている。
また、東京近郊区間では2001年12月1日、湘南新宿ライン快速として、新宿駅を経由して高崎線へ直通する列車の運転を開始。蛇窪信号場から戸塚駅までは横須賀線電車の線路を走行する。
また、2013年(当初2009年度末としていたが遅れる見込み)に、東北・上越新幹線建設工事に伴って一度は廃止された東北本線の列車線を上野駅から東京駅へ延伸し、宇都宮線・高崎線・常磐線の各列車と相互直通運転する計画(東北縦貫線計画)がある。
全区間が日本を代表する動脈で、遠距離の旅客輸送は夜行列車を除くと東海道新幹線に譲ったものの、全区間を通過する多数の貨物列車が運行されている。気候は関ヶ原付近を除くと通年温暖で、改良により勾配も抑えられている。「平坦線・暖地向け」「幹線機」として事実上、同線向けに開発された車両も多数ある(国鉄113系電車、国鉄C59形蒸気機関車、国鉄C62形蒸気機関車、国鉄EF57形電気機関車、国鉄EH10形電気機関車、国鉄EF65形電気機関車、国鉄EF66形電気機関車、JR貨物EF200形電気機関車、JR貨物M250系電車など)。
[編集] 名称について
国鉄時代の『日本国有鉄道線路名称』では、本路線を指す名称として東海道本線が使われており、東海道線の名称は東海道本線およびその支線だけでなく、山手線、横須賀線、御殿場線、身延線、飯田線、武豊線、福知山線などを支線として含む総称として使われていた。しかし、国鉄が分割民営化された際に策定された「日本国有鉄道の事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継等に関する基本計画」[1]においては、本路線の(山手線などを含まない)名称が「東海道線」と定められている。以降、両方の名称が並立して使用されている。例えば国土交通省発行の文書や鉄道要覧では「東海道線」の名称が使われ、JRの線路名称公告では「東海道本線」の名称が使われている。ただし、国土交通省やJR各社のウェブサイトにおいても両方の名称が混用されている。
また、「東海道線」の名称は、本路線を運行する列車の呼び名としても使用されている。東京近郊では、線路の戸籍上は本路線に乗り入れている横須賀線や京浜東北線と区別する形で、東京 - 熱海方面の中距離電車運転系統の呼称として旅客案内(駅・車内の放送、行先表示)などに用いられている。
一方、1988年3月にJR西日本が琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線という愛称を定めた区間については、愛称が優先して使われている。たとえば米原駅においては、米原以西については愛称である「琵琶湖線」と案内されているのに対し、米原以東については「東海道線」と、別の路線として明確に区切って案内されている。マスコミでも近畿のローカルテレビニュース、神戸新聞や京都新聞、地方裁判所の土地公示広告、都市再生機構や民間不動産会社の広告、一部の地図帳(カーナビ、ネット地図を含む)では琵琶湖線、(JR) 京都線、(JR) 神戸線が一般的であるが、全国版ニュース番組や新聞では朝日新聞・朝日放送 (ABC)以外は原則として東海道(本)線を使用している。
[編集] 沿線風景
東海道という名前の割にはあまり海岸沿いを走っておらず、海の景色が見られる区間は平塚・国府津 - 熱海・三島・由比・浜名湖・蒲郡のそれぞれ周囲と意外と限られている。東海道の名は、もとは律令時代に制定された五畿七道による今の東海・南関東等を指す地域区分(三重・愛知・静岡・山梨・神奈川・千葉・茨城等)及びそれらを結んで作られた街道を指すものであって、海岸沿いの地域だけを指している訳ではない。
なお、この路線の名称は江戸時代の五街道としての旧 : 東海道に沿って敷設されたところから取られているが、江戸時代の東海道五十三次と比較すると、熱田 - 大垣 - 草津のルートは完全に東海道から外れており、どちらかと言えば脇往還の美濃路と同じく五街道の一つである中山道に沿ったものとなっている。
海岸線から離れた所に敷設されているのは、軍部が外国艦隊による鉄道への艦砲射撃を恐れて山間部に敷設することを要請したから、という説がある。明治期に鹿児島本線(現 : 肥薩おれんじ鉄道線)の八代 - 鹿児島間を当初海岸沿いではなく山間ルート、現在の肥薩線のルートで敷設したのと同じである。また昭和期には浜名湖にかかる橋梁の爆撃を恐れ、二俣線(現 : 天竜浜名湖鉄道線)を東海道本線のバイパスルートとして開業させたり、橋脚が多い同線の小田原 - 熱海間が爆撃が受けた場合に備え、小田急小田原線(当時は東京急行電鉄の所有)と御殿場線が代替として活用できるよう、松田駅構内に連絡線を設けさせようとした(戦中には完成しなかったが、戦後に直通列車の運転実施のため開通した)事例もある。
一方で当時の土木技術や車両性能から、トンネルや勾配を抑えるために敷設条件が限られた、という説も有力である。東海道の海岸沿いは地形が険しい箇所も多く、また内陸のルートより遠回りになる場合もある。地形がきつい旧東海道の豊橋 - 岡崎間や鈴鹿峠からは大きく外れたルートを取り(ただし後に名鉄名古屋本線や関西本線がそれら地域の便を図る形で開業した)、京都 - 大阪では京街道の対岸を通した。
なお国府津 - 沼津間の箱根峠迂回路や関ヶ原周辺、それに大津 - 京都間の逢坂山越えでは開業後に編成が長大化した後、勾配緩和によって補助機関車の連結を解消することを目的とし、路線の付け替えが行われている。
明治政府は当初、幹線ルートを海路との競合を避けるために中山道沿いにすると決定したものの、山岳地帯への敷設が困難なことから東海道ルートに変更した経緯がある。東海道ルートに変更した際に、すでに開業していた区間は最大限に活用する形で早期に東西両京を結ぶことを目指したため、中山道ルートを前提として路線が当時までに開業していた熱田 - 草津間のルートは旧 : 東海道から外れているのである。
なお品川や横浜の近辺は海岸線に近いところに敷設され、用地が取得できなかった品川駅は造成した埋立地の中に、横浜の手前の区間に至っては遠浅の海の中に盛り土をして作られたが、どちらも後の埋め立てで車窓から海が見えなくなっている
[編集] JR東日本区間
詳細は湘南電車#沿線概況を参照
東海道本線の起点駅・東京駅はJR各線が集中する国内有数の大ターミナル駅である。東海道線列車は東京駅を出ると品川駅まで山手線・京浜東北線・東海道新幹線と並走する。また同区間には地下路線として横須賀線および都営地下鉄浅草線 - 京急本線も並走している。
東京 - 小田原間は、主にオフィスビル街・繁華街・住宅街の中を行くが、川崎駅 - 横浜駅間は工場・倉庫・その中継貨物施設の中を通過し、保土ヶ谷 - 東戸塚間では三浦半島に続く稜線をトンネルで貫いているがこのトンネル(清水谷戸トンネル)は、日本の鉄道用の現役トンネルとしては最古である。大磯 - 国府津間は田園区間となるため風景がやや異なるが、その他の地区はいわゆる関東近郊の沿線風景が広がる。
横浜駅付近はかつて海岸沿いを走行していたが、現在は埋められて横浜駅が建設され、さらにその東口にはショッピング街が広がっており、海の気配はあまり感じられない。横浜そごう東側の横浜ベイクォーター2階から繋がる桟橋にはみなとみらい21(ぷかり桟橋)・赤レンガ倉庫・山下埠頭(氷川丸前)行きのシーバスが発着する。
茅ヶ崎 - 平塚間の相模川橋梁上では車窓から相模灘が遠望出来る。また好天に恵まれる時には富士山を望む時もある。
小田原駅 - 真鶴駅間は山が海に直接落ち込んでいるためトンネルが多い区間となっているが、トンネルの合間には蜜柑畑と相模湾の青い海が繰り返し見晴らせる。
根府川駅近くの白糸川鉄橋は有名な撮影地点として知られる。好天の時には北西側に箱根山の外輪山が見える。初代の根府川駅は関東大震災による土砂災害で停車していた列車ごと崩落して海中に沈み、現在も海底に当時のホームなどが残っている。真鶴駅は相模湾の海の幸を水揚げする真鶴漁港の最寄り駅であり、周辺には新鮮な魚介類を出す飲食店が軒を並べる。
湯河原駅の手前では小田原以西で初めて平地部が広がり、この山の手には梅園で有名な幕山公園がある。湯河原は著名作家や政治家が隠れ家として利用した湯河原温泉の玄関駅であり、特に夏は吉浜海水浴場に向かう海水浴客でも賑わう。湯河原を出て湯河原温泉を流れる千歳川を渡ると静岡県に入り、泉越トンネルを抜けて伊豆山を越すと、日本有数の温泉都市でJR東海区間との境界駅である熱海に到着する。
[編集] JR東海区間
[編集] 熱海 - 豊橋
温泉街は熱海駅の南東側の太平洋岸(相模灘)にあり、駅と温泉街の間には土産物店が軒を並べる。熱海駅からは伊東線が分岐し、東京都心から特急「スーパービュー踊り子」や「リゾート踊り子」が直通している。熱海駅を出ると伊東線の来宮駅が見えるが、並行して走る東海道線にはホームが無く、電留線となっている。そのすぐ西側が丹那トンネルの入口である。丹那トンネルの掘削工事は多数の死傷者を出した難工事であった。丹那トンネルを抜け函南駅を過ぎて山地を過ぎると三島駅に着く。三島は富士の湧水に満ちた清流の町であり、また修善寺温泉・天城湯ヶ島温泉への西の玄関口でもある。三島駅から修善寺駅まで伊豆箱根鉄道駿豆線があり、こちらも東京都心から「踊り子」が直通運転している。また沼津駅にはJR東海と小田急電鉄の特急「あさぎり」が新宿から小田急線・御殿場線経由で相互直通運転している。御殿場線は丹那トンネルが開通するまで東海道本線として使用され、御殿場線下土狩駅は旧東海道本線の三島駅であった。沼津は漁港の町であり、また西伊豆方面観光の玄関口でもある。小田原から富士川までの東海道本線区間は沿線の一番風光明媚な区間で、吉原 - 富士川間では天気さえ良ければ富士山の雄大な眺めを堪能できる。山部赤人の詩歌にも登場する田子の浦最寄りの東田子の浦駅を過ぎると製紙工場の町として有名な富士市の吉原駅、富士駅に着く。吉原から吉原本町駅を経由し愛鷹山山ろくの岳南江尾駅まで行く岳南鉄道線が分岐している。富士駅からは身延線に乗り換えると甲府まで行くことができる。
富士川を渡ると静岡市へ。蒲原 - 清水間では崖と海の間の狭い平坦地を走る。海側には国道1号と東名高速道路が並走し、由比駅を過ぎて高速道路が内陸に離れるまで海への視界は遮られる。由比駅付近は由比漁港で揚がるサクラエビやシラスを題材とした観光地となっている。東海道広重美術館は駅から旧東海道を歩いて約15 - 20分であり、その道路沿いにはサクラエビを中心とした海鮮物販店・飲食店が散在する。清水駅では線路が南北に通る関係で富士山が海側の車窓から見える。当駅はサッカー王国静岡を代表するJリーグチーム・清水エスパルスのホームグラウンドである日本平スタジアムや、日本三大松原の一つである景勝地・三保の最寄りでもある。次の草薙駅は草薙神社の最寄り駅で、東海道本線と並行して静岡清水線を新清水 - 新静岡間で運行している静岡鉄道の草薙駅も徒歩3分と至近である。並行している区間では、1950年に事故で不通になった際に東海道線が静岡鉄道線を走行したこともある(詳細は桜橋駅参照)。東静岡駅は貨物操車場跡地の再開発商業地区に設置された駅で、今後は静岡市の行政庁舎が移転する予定となっており、再開発が進んでいる。プラモデルなど模型で世界的にも著名なタミヤも当駅南方に所在する。東静岡駅を出てすぐに静岡市の中心駅・静岡駅に着く。地元の足である静岡鉄道の新静岡駅は当駅の北側徒歩7 - 8分のところに位置し、さらにその北側にある駿府城内には静岡県庁が、そして堀外西側には静岡市役所静岡庁舎・葵区役所があり、その周辺には両替町・呉服町などの繁華街が広がっている。
静岡駅を出ると直ぐに安倍川を渡る。この区間からの低い山の緩斜面は、神奈川県西部地域湯河原 - 静岡県磐田付近にかけての低い山の緩斜面と同様に大概茶畑や蜜柑畑になっている。安倍川駅、用宗駅を過ぎると長いトンネルを抜けて焼津駅に着く。この区間の海岸線は切り立った崖が続く景勝地として有名な「大崩海岸」である。この大崩海岸地帯は日本の地層を二分するフォッサマグナの基点である。旧東海道線はトンネルの間でこの海岸沿いに出ていたが、波浪による海岸部の侵食が激しかったため、弾丸列車計画により完成したものの計画頓挫で宙に浮いていた日本坂トンネルを流用する形で路線を移設、その後の台風で護岸が旧トンネルの坑口もろとも崩壊し、海岸にその残骸が残っている。その日本坂トンネルも、新幹線建設のために明け渡さなければならなくなったため、一旦は放棄された石部・磯浜の2つの旧トンネルを再度活用し、崩壊した坑口を避けて内部でこれらのトンネルを繋いで使用している。旧東海道や国道1号はこの海岸線を避けて山間に廻り宇津ノ谷峠を越す。西焼津駅から島田駅の間は開けた平地を走り、SLの運行で知られる大井川鐵道の起点金谷駅の手前で「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」といわれた大井川を渡る。金谷駅から菊川駅にかけては茶所「牧之原台地」の山裾を縫って走り、袋井駅を過ぎた辺りから平地に出て、磐田駅に着く。磐田市にはサッカー王国静岡を代表するJリーグチーム・ジュビロ磐田の本拠地がある。天竜川を渡ると「自動車産業の町・楽器の町」浜松市に入る。浜松駅近くの新浜松駅から遠州鉄道鉄道線を利用すると天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線乗り換え駅の西鹿島駅まで行くことができる。浜松駅を出ると浜名湖を渡る舞阪 - 新居町間では左右に湖水を見ながら走り、特に弁天島駅は浜名湖に浮かんだ島の上にある。この辺りは、東海道新幹線開業前に東京駅と大阪駅を同時刻に発車した在来線特急「こだま」号がすれ違った場所といわれる。浜名湖を抜けると程なく愛知県に入り、東三河地区の中核都市である豊橋市の豊橋駅に到着する。
[編集] 豊橋 - 米原
愛知県内に入ると広大な平野が続く。豊橋を出ると、飯田線や名鉄の列車としばらく並走する。豊川や豊川放水路を通過すると平井信号場で飯田線と名鉄線とはそれぞれに分岐して走行する。また国道1号も名鉄線に沿って山沿いに走るため、名古屋市内まで国道1号と交差しない。三河大塚駅付近ではテーマパークであるラグーナ蒲郡を見ることができ、しばしば大きな観覧車を目の当たりにする。蒲郡市内では穏やかな三河湾と渥美半島が見える。2005年に高架化が完成した蒲郡駅を通り、ホームの長さの都合によりムーンライトながらが停車しない三河塩津駅を通過すると、海岸から離れる。沿線には住宅地や田園地帯が広がる。幸田駅を出るとほぼ直線で走り、岡崎駅に到着する。この駅を出ると、岡崎の市街地を通らず左に曲がり、矢作川を通る。その後はほとんど直進し、安城駅や刈谷駅を通る。刈谷駅を抜けると三大都市圏らしく途切れることなく工業地帯や住宅地の中を走る。武豊線との乗換駅である大府駅を出ると名古屋の市街地に入る。大高駅から笠寺駅付近では東海道新幹線と並走し、しばしば新幹線を見ることができる。熱田駅手前から名鉄の複々線が並走し、東海地方はおろか、本線でも珍しい、手動式の踏切が名鉄神宮前駅付近で見られる。またその付近で国道1号が立体交差し、四日市へ向かっていく。線路はここから旧東海道ルートを外れることになる。名古屋市の南のターミナル金山駅を出ると新幹線や中央本線が並走する。またこの間にはナゴヤ球場を見ることができる。この辺りから名古屋駅前に林立する超高層ビル群が目の前に迫り、名古屋高速の高架道路を潜ると「世界一、背の高い駅ビル」として知られるJRセントラルタワーズがある名古屋駅に到着する。
名古屋を出た列車は地下から出てきた名鉄線と併走し、名鉄線と分かれると庄内川を渡り、名古屋市域から抜ける。その後、織田信長天下取りの地である清洲城を見る。さらに進むと右手には東海道の貨物拠点である稲沢駅の線路群が見て取れ、高架に上り今度は左手から名鉄線が寄り添うと尾張一宮駅である。この駅の駅舎は国鉄時代の薄汚れたコンクリート製の物を使っていたが、現在建て替え工事中である。その後も名鉄線としばらく併走し、やがて木曽川を渡る。この木曽川鉄橋はかつてC62型蒸気機関車が高速度試験で129km/hの記録を出したことで知られる。
木曽川を抜けると笠松競馬場の付近を通過し、再び高架を駆け上がり、大きく左にカーブすると岐阜駅に着く。岐阜は斎藤道三と織田信長の居城、岐阜城(稲葉山城)と長良川の町であり、観光都市として知られる。高い高架ホームからは岐阜城と金華山を眺めることができる。
岐阜駅の高架工事で移転新設された岐阜貨物ターミナル駅は最初の架線化荷役駅で、旅客専用の西岐阜駅が隣接する。そして長良川を渡ると穂積駅を通過、濃尾平野をほぼ直線で貫きながら揖斐川の橋梁を渡り、樽見鉄道線が張り付くと大垣駅である。
大垣は過去関ヶ原越えの補助機関車の基地として、その後は今に至るまで電車のねぐらとして、大きな役割を持っている。そんな大垣車両区を横目に見て進むと、南荒尾信号場を通過する。ここからは美濃赤坂への支線が分岐し、その支線上にある荒尾駅を見ることができる。美濃赤坂への電車は荒尾を過ぎると、工場の横を低速で走りやがて美濃赤坂駅に到着する。美濃赤坂駅からは貨物線の西濃鉄道が延びている。
南荒尾信号場では下り線が2本に分岐する。大垣から関ヶ原までは急勾配が続き、戦時中の輸送力増強の一環として勾配を10‰に緩和した下り線が新設され、特急列車や貨物列車などはこちらを利用する。現在でも迂回線が本線であり、一見本線のように見える下り線は「垂井線」と呼ばれる支線である。この区間にはかつて、新垂井駅があり、下り列車しか停車しない駅として有名だったが、1986年に廃駅になっている。普通列車は「垂井線」を進み、25‰の急勾配を駆け上がり、再び下り本線が寄ってくると関ヶ原駅に着く。
関ヶ原は交通の要衝である。東海道新幹線、さらに旧中山道、国道21号、名神高速道路を東海道線の車窓から見ることができる。柏原の手前、旧中山道にある今須宿は寝物語の昔話が残る美濃と近江の境、列車も滋賀県に入る。この関ヶ原から米原までの区間は、東海道本線の中では線形が悪く、過去2回の線路付け替えで現ルートになった。柏原からは周囲も開け、醒ヶ井間では間近に伊吹山の山肌が見える。伊吹山は石灰岩の産地で、山麓には住友大阪セメントのセメント工場があり、かつて近江長岡から工場の専用線が延びていた。この付近はまた豪雪地帯の一つとしても知られる。
伊吹山を背にしながら近江盆地の田園地帯に入ると、まもなくJR西日本区間との境界駅である米原駅に到着する。
[編集] JR西日本区間
[編集] 米原 - 京都
新幹線や敦賀方面へ向かう北陸本線との乗り換え駅である米原は、かつて名古屋鉄道管理局の管内であったが、国鉄分割民営化を控えた1987年3月に大阪鉄道管理局に管轄換えとなり民営化後は新幹線がJR東海、在来線がJR西日本の所属になった。駅北側にはかつての機関区跡地が電留線として広がり、南側には貨物列車用発着線や操車場跡地に新設されたJR総研の大型風洞施設を見ることができる。
東海道本線の米原から京都までは(北陸本線の長浜・米原間とともに)、琵琶湖線と呼称される区間である。かつては米原 - 彦根間で湖岸(松原内湖)を走っていたが今は内湖も埋め立てられてしまい、この先琵琶湖を見ることはできない。この米原 - 膳所間は東海道線の最後の開通区間である。1889年(明治22年)にこの区間が開通し、東海道線の直通列車が走ることになった。湖東平野の平坦地を走る曲線の少ない区間である。かつての井伊家の居城であった彦根城を望みながら彦根駅へ。かつては近江鉄道を介してセメントやビールの貨車受け渡しのあったところである。宇曽川、愛知川と橋梁を繰り返し渡り、小さな腰越山トンネルをくぐると右手には織田信長の居城があったことで知られる安土山(安土城祉)を見ることができる。
近江八幡駅は八日市への近江鉄道も接続する拠点駅。住宅やマンションが駅周囲に広がり通勤通学客も多いが、また近江商人の街並みや船で行く水郷巡りなど休日にはハイキングを楽しむ人たちで賑わう。
田園地帯に電車の車庫が見えると野洲駅。このあたりからは京都・大阪の通勤圏となり田園地帯の中に住宅が増えてくる。野洲駅の米原寄りには大規模な電留線があり野洲を始発とする大阪方面への電車も多い。続く守山・栗東とも駅前にはマンション群が目に付く。そして草津線が張り付いてくると草津駅。琵琶湖線内でもっとも利用客の多いにぎやかな駅である。
草津からは1970年に完成した複々線区間を走る。琵琶湖の湖面を望める瀬田川橋梁を渡ると石山駅。同駅と次の膳所駅でも京阪石山坂本線に乗り換えができる。膳所はかつて一度大津駅と呼ばれたところで、機関区も置かれていたことがあった。逢坂山に備え線路は高い位置となり、車窓からわずかに琵琶湖を望むことができる。
大津という駅は過去何度か引っ越ししており、現在の大津駅は3代目になる。1921年完成の新逢坂山・東山トンネルを経由する現在の線路になって新設された駅である。駅の西にはすぐに新逢坂山トンネルがあり、トンネルを抜けると頭上に湖西線高架が見える。車窓からは府県境ははっきりわからないまま