東京都
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東京都(とうきょうと,英:Tokyo Metropolis)は、都道府県の一つであり、日本の首都機能が置かれている東京都区部および多摩地域、伊豆諸島、小笠原諸島を管轄する地方公共団体である。小笠原諸島を管轄しているため、日本最南端及び最東端の都道府県でもある。公式キャッチフレーズは『らっしゃい東京』である。
目次 |
概要
東京都は、日本の首都として、司法・立法・行政の中心地であり、経済の中心地でもある。日本の都道府県の中では人口が最も多く、人口密度は大阪府と同程度である。東京都区部を中心とする東京大都市圏は、世界で最も人口が多い都市圏であり、経済規模ではニューヨーク大都市圏を凌ぎ世界最大である。[1]またニューヨーク、ロンドン、パリと共に世界最上位レベルの世界都市にあげられることもある。[2]
明治維新以前の東京市の旧称は江戸であり、戦国時代には太田道灌の城下町、江戸時代には江戸幕府の所在地・徳川将軍家の城下町として栄えた。第二次世界大戦中の1943年7月1日に、東京都制(昭和18年法律第89号)が施行され 、東京府と東京市を統合した形で東京都が設置された。第二次大戦後の1947年に、地方自治法が施行されたために東京都制は廃止されたが、東京都の名称と行政区域は変更されず、現在に至っている。このため東京都庁は、市役所(23区を包括する市)としての機能と県庁として広域行政体としての機能を併せ持つ。
東京都庁舎の所在地は長年千代田区にあったが、1991年4月1日に新宿区の新宿副都心に移転した。したがって都の見解による都庁所在地は新宿区であるが、特別区の総称としての都市名で「東京」とされる場合もある。なお、東京都の英語表記は、Tokyo Metropolis(あるいは Tokyo Metropolitan prefecture)である。東京都庁を指して東京都ということもあるが、この場合はTokyo Metropolitan Governmentとなる。
地理
東京都の主要部分は、関東平野に位置し、東京湾に面している。神奈川県、埼玉県、千葉県と隣接しており、山岳地帯で一部山梨県とも接している。東京都の行政区域には、伊豆諸島と小笠原諸島が含まれるため、日本の最南端(沖ノ鳥島)、及び最東端(南鳥島)を持つ。令制国の武蔵国(他に現在の埼玉県全域と神奈川県の川崎市全域及び横浜市の大部分)、下総国(江戸川以西)、伊豆国(伊豆諸島)の領域が現在の東京都である。
面積は2,187.58平方キロ、人口は12,577,819人(2005年12月1日現在)。日本の都道府県の中では人口が最も多く、人口密度は大阪市と同程度である。東京都区部を中心とする都市圏(首都圏)は、世界で最も人口が多い都市圏である。
区市町村
東京都の区域内には、基礎自治体として以下の23区・26市・5町・8村の区市町村がある。
| 東京都区部 | 足立区、荒川区、板橋区、江戸川区、大田区、葛飾区、北区、江東区、品川区、渋谷区、新宿区、杉並区、墨田区、世田谷区、台東区、中央区、千代田区、豊島区、中野区、練馬区、文京区、港区、目黒区 | |
| 多摩地域 | 市部 | 昭島市、あきる野市、稲城市、青梅市、清瀬市、国立市、小金井市、国分寺市、小平市、狛江市、立川市、多摩市、調布市、西東京市、八王子市、羽村市、東久留米市、東村山市、東大和市、日野市、府中市、福生市、町田市、三鷹市、武蔵野市、武蔵村山市 |
| 西多摩郡 | 奥多摩町、日の出町、瑞穂町、檜原村 | |
| 東京都島嶼部 | 大島支庁 | 大島町、利島村、新島村、神津島村 |
| 三宅支庁 | 三宅村、御蔵島村 | |
| 八丈支庁 | 八丈町、青ヶ島村 | |
| 小笠原支庁 | 小笠原村 | |
地域名
東京都は一般に、「区部」(東京23区、旧東京市)、「多摩地方」、「島嶼部」(伊豆諸島・小笠原諸島)の3地域に分けられることが多い。
区部では、皇居を基準として、「城北」、「城東」、「城南」、「城西」という呼び方をすることがある。区部の西側は武蔵野台地の末端部であることから「山の手」とも呼ばれる。区部の中心部には都市機能が集積しており「都心」と呼ばれる。「都心」の範囲は、統一された定義はないが、最も狭い意味では千代田区、中央区、港区の「都心3区」を指すことが多く、広い意味では区部全体が「都心」と呼ばれることもある。東京都庁では各種の都市計画において副都心を策定しており、今日では新宿副都心、池袋副都心、渋谷副都心、上野・浅草副都心、錦糸町・亀戸副都心、大崎・品川副都心、東京臨海副都心の7箇所を「副都心」と呼ぶことがある。
多摩地方は、東多摩郡以外の南多摩郡、北多摩郡、西多摩郡からなる地域であると言う意味から「三多摩」とも呼ばれる。多摩地方はさらに「市部」と「西多摩郡」に区分されることもある。「都内」「東京都内」と言うと、多摩地方と島嶼部も含めて全域を指すが、区部のみを「都内」と呼んで、多摩地方を「都下」と呼ぶ事もある。これは、「県内」と「県下」が同義であることを考えるとおかしな表現であるが、かつて「東京市内」「東京府下」とされた呼称が、都制施行時に「東京都内」「東京都下」に呼び変えられたことで起こった慣習的な表現だと言われている。「都下」という呼び方は、「都下スポーツ大会」のように公的にも使われていたこともあるが、見下しているともみなせる表現であるため現在では使われることは少ない。
島嶼部は、「大島支庁」「三宅支庁」「八丈支庁」「小笠原支庁」に区分されることもあるが、これは東京都庁の支庁の事務的な管轄範囲で区分するものであり、区域内の町村が支庁に属するわけではない。例えば、小笠原村の住所は「東京都小笠原村」であり、「東京都小笠原支庁小笠原村」ではない。
地形・地質
区部の東部には、隅田川、荒川、江戸川、中川などの河口部に沖積平野が広がっている。地盤は軟弱であり、ゼロメートル地帯も少なくない。南部の多摩川沿いの地域も低地となっている。区部の西部は武蔵野台地の末端部であり、幾つもの舌状台地が伸び、台地と低地が入り組んだ高低差のある地形となっている。臨海部は埋立地となっている。埋立は徳川家康の時代から始まったもので、現在は主に新海面処分場において廃棄物や建設残土の埋め立てが行われている。
多摩地方では、多摩川沿いの低地を中心として北側には武蔵野台地、南側には多摩丘陵が広がっている。多摩西部(西多摩地域)には関東山地に含まれる山地がある。埼玉県の入間郡から青梅市、立川市、府中市の方向には立川断層の存在が確認されている。立川断層は日本の活断層の中でも地震の発生確率が比較的高いとみられている。
島嶼部には伊豆諸島と小笠原諸島が含まれる。いずれも火山活動によって形成された火山島である。伊豆諸島には活火山が多く、三宅島の雄山は2000年以降火山活動中である。また伊豆大島の三原山でも最近では1986年に大規模な噴火活動がみられた。小笠原諸島は特有の生態系を持ち、「東洋のガラパゴス」と呼ばれるほど貴重な動植物が多い。
気候
| 東京 の気候表 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
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45
10
1
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60
10
2
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100
13
4
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125
18
10
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138
23
15
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185
25
19
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126
29
22
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148
31
24
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180
26
20
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164
21
14
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89
17
9
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46
12
4
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| 気温 °C 総降水量 mm 出典: Climate-Charts.com |
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インペリアル換算
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東京都および関東地方の大半は、ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候に該当する。日本国内における気候区分では太平洋側気候に属する。特徴としては、四季の変化が明瞭であり、天気が日によって変化しやすい。夏季は高温・多雨となり、冬季は晴れて乾燥する日が多い。
春は、天気は周期変化で、晴れる日が多いが、発達した低気圧が通過して天気が崩れることもある。寒冷渦の影響で雷雨になる時もある。梅雨には梅雨前線に覆われ雨の降りやすい天気が続く。前半は弱い雨が中心だが、後半は強い雨が降りやすい。まれに空梅雨の年もある。夏は、太平洋高気圧に覆われて、晴れて湿度が高く暑い日が多く、雷雨も発生しやすい。ただし年によってはオホーツク海高気圧の影響で曇りや雨のぐずついた天気になる場合もある。
秋は、前半は秋雨前線の影響で雨が降りやすくなる。また台風が通過して暴風雨となることもある。後半は天気は周期変化となり、晴れる日が多い。冬は、西高東低の冬型の気圧配置になりやすく、晴れて空気が乾燥する日が多い。2月から3月にかけては南岸低気圧が通過しやすくなり、数センチ程度の積雪となることもある。雪が積もると交通機関の運行が乱れることもある。
島嶼部では、聟島列島・父島列島・母島列島・西之島は亜熱帯に該当し、火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島は熱帯に該当する。
歴史
律令制の時代
現代の東京都の領域は、令制国の武蔵国の一角である。郡においては、東京都区部は豊島郡(中心部)、荏原郡、足立郡の一部、下総国葛飾郡の一部に相当する。多摩地方は多麻郡となっていた。近世初期に、葛飾郡のうち、隅田川から利根川(現代の江戸川下流)の間が、下総国から分離されて武蔵国に編入された。武蔵国は、現在の東京都全域だけでなく、埼玉県全域と神奈川県東北部を含む広い版図であるが、国府と国分寺はそれぞれ現在の府中市と国分寺市にあった。当初の武蔵国は、五畿七道では東山道に属していたが、771年に東海道所属に変更された。
延喜式神名帳には足立郡に氷川神社(名神大社)、多磨郡に小野神社(一宮)、阿伎留神社、青渭神社等が見えるが、後世武蔵国総社とされた大國魂神社や、東京の神社として著名な神田明神や日枝神社の名は見えない。
かなり古い時代から渡来人が住んでいたようで、亀塚古墳のある狛江郷(狛江市周辺)は高句麗に由来するとされ、他にも渡来人に纏わる伝承は多い。武蔵野の開発は渡来人の潅漑技術による所が大きいとされる。
鎌倉時代から戦国時代まで
中世には武蔵七党と呼ばれる武士団が興り、関東に進出した畿内の河内源氏の家人となった。源平合戦では豊島氏、足立氏、葛西氏らが活躍している。12世紀には豊島郡江戸郷の名が見え、この地を本拠とする江戸氏も興った。これ以後、当地は江戸と呼ばれるようになる。14世紀には、新田義貞が鎌倉幕府軍を破った分倍河原の戦いが知られる。
戦国時代には扇ヶ谷上杉氏の家宰であった太田氏が台頭し、江戸城を築いた太田道灌が武蔵国の掌握に力を注いだが暗殺され、小田原城を拠点とする後北条氏が武蔵国に進出する。北条氏政の弟・北条氏照は八王子城を築き、西方の甲斐国の武田氏に備えた。その後北条氏も、豊臣秀吉の小田原攻めによって1590年に滅んだ。
江戸時代
後北条氏が滅んだ後、東海地方から甲信を支配していた徳川家康が、関東地方(武蔵国を含むほとんど全部)への領地替えとなり、駿府城(旧静岡市)から江戸城に入る。やがて関ヶ原の戦いに勝利した家康は、1603年3月24日(旧暦2月12日)に江戸幕府を開き、江戸時代が到来する。ここに、首都は京都でありながら、江戸は行政庁所在地となる。幕府を開いた家康は進んで鷹狩りをやり、白金御殿などの御殿も造られた。江戸は人口の急増とともに町が拡大していき、18世