東京放送
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| 種類 | 株式会社 | ||
|---|---|---|---|
| 市場情報 |
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| 略称 | TBS | ||
| 本社所在地 | JPN 〒107-8006 東京都港区赤坂五丁目3番6号 |
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| 電話番号 | 03-3746-1111 | ||
| 設立 | 1951年5月17日 (登記日・株式会社ラジオ東京) |
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| 業種 | 情報・通信業 | ||
| 事業内容 | 放送法による一般放送事業(テレビの放送)及びその他放送事業 放送番組、ビデオソフト等の製作及び販売 情報通信サービスの提供ほか |
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| 代表者 | 井上弘(代表取締役社長) | ||
| 資本金 | 54,986,892,896円円 (2008年3月31日現在) |
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| 売上高 | 単独: 277,400百万円 連結:318,700百万円 (2007年3月期) |
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| 総資産 | 単独: 534,322百万円 連結:567,722百万円 (2007年3月31日現在) |
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| 従業員数 | 1,140人 (2008年3月31日現在) |
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| 決算期 | 3月末日 | ||
| 主要株主 | 楽天株式会社 - 16.49% 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(退職給付信託口・株式会社電通口) 4.89% 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 4.47% 日本生命保険相互会社 4.10% 資産管理サービス信託銀行株式会社(金銭信託課税口) 3.35% (2008年3月31日現在) |
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| 主要子会社 | TBSテレビ TBSラジオ&コミュニケーションズ 他 |
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| 外部リンク | http://www.tbs.co.jp/ | ||
株式会社 東京放送(かぶしきがいしゃ とうきょうほうそう、Tokyo Broadcasting System、Inc.)は日本の一般放送事業者(現在はテレビ単営)で、グループ統括会社。略称は商号の英訳の頭文字を採った「TBS(ティービーエス)」。日本プロ野球・横浜ベイスターズの親会社である。 一般的には、正式名称の「東京放送」で呼ばれることは少なく、略称の「TBS」が浸透定着しているので、「TBSが正式社名である」と間違われることもある。
[編集] 概説
| 東京放送のデータ | |
|---|---|
| 英名 | Tokyo Broadcasting System,Inc. |
| 放送対象地域 | 千葉県・神奈川県) |
| ニュース系列 | JNN |
| 番組供給系列 | TBSネットワーク |
| 略称 | TBS |
| 愛称 | TBS TBSテレビ |
| 呼出符号 | JORX-(D)TV |
| 呼出名称 | TBS(デジタル)テレビジョン |
| 開局日 | 1955年4月1日 |
| 本社 | 〒107-8006 東京都 港区赤坂5-3-6 TBS放送センター内 |
| 演奏所 | スタジオを参照 |
| アナログ親局 | 東京 6ch |
| ガイドチャンネル | 6ch |
| リモコンキーID | 6 |
| デジタル親局 | 東京 22ch |
| 主なアナログ中継局 | アナログ中継局参照 |
| 主なデジタル中継局 | デジタル中継局参照 |
| 公式サイト | 公式サイト |
| 特記事項: 2001年9月までラテ兼、サインはJOKR |
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他局と合同出資した会社(フジテレビとの合同出資によるム・ーハや、フジおよびテレビ朝日との合同出資によるトレソーラ)を設立するなど、他のキー局との交流もある。
労働組合の力が強い。その一例として、赤坂本社内のスタジオ(報道用のNスタ・Sスタを除く)については、労働組合との深夜労働に関する取り決めの関係から、事前に延長使用届を提出していない場合は24時(午前0時)に強制的に照明の電源が落とされる。そのため通常の番組収録では、24時前に収録が終了するようにスケジュールを組む。最近では『うたばん』などそれを逆手に取って笑いのネタとして積極的に活用する番組も現れている。
ホリプロとはパイプが太く、『赤いシリーズ』など古くから番組制作に関わっている。特にホリプロ所属芸能人の和田アキ子を積極的に番組に起用していることでも知られる。また、ジャニーズ事務所や個人ではTBSの長寿ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の主演を務めている泉ピン子などとも結びつきが強い。
日本の民放テレビ局では最後まで消費者金融会社のコマーシャル(CM)を解禁していなかったが、2001年4月1日に解禁した。当時、ラジオでは既にCMを解禁していたがテレビは「ビデオ問題」(後述)の反省と、当時の消費者金融会社の企業体質がネックとなっていた。
2000年以降は行政処分が出されるような重大な不祥事や類似した不祥事が多く起きている(東京放送#TBSの不祥事・事件・トラブルを参照)。
[編集] テレビ部門
1980年代までは、TBSテレビはドラマ・バラエティー・報道の各分野で、バランス良く高い視聴率を保ち、その質においても評価されていた。こうしたことから、『民放の雄』ともいわれ、さらに報道やドラマに力を入れていたことから、『民放のNHK』、『報道のTBS』、『ドラマのTBS』ともいわれた。また、在京キー局としては唯一のテレビ・ラジオ兼営局として、長い間日本の民間放送界をリードする存在でもあった。
しかし、1980年代後半から1990年代にかけて、社内の人員構成の高齢化などで番組編成の新陳代謝が遅れ、徐々にその勢いに陰りが見え始める。
その打開策として、1992年に行われたTBS系列のバラエティ&クイズ番組大改革(『わくわく動物ランド』、『クイズ100人に聞きました』、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』、『クイズダービー』等、視聴率の高低、地域差などにもかかわらず、当時放送されていた1970年代 - 1980年代からの長寿番組を次々と独断で強引に打ち切り、1992年10月から月曜-木曜の19時台を『ムーブ』と呼ばれるバラエティ番組枠を当時の社長磯崎洋三の肝煎り(いわゆる「つるの一声」)で制作した)が結果的に失敗したこと、さらに1996年に発覚した「オウム真理教関連の事件であるTBSビデオ問題」をはじめとした不祥事が多発した影響もあり、視聴率に関しては「冬の時代」を迎えることとなった。
こうしたことから、TBSの視聴率は、それまで万年4位であったテレビ朝日にも抜かれることが多く、以前のテレビ朝日について評された『振り向けばテレビ東京』というような言葉が、TBSについても言われるようになった。2001年ごろから、「K-1 WORLD MAX」やプロボクシング(亀田兄弟)といったスポーツ中継番組などによって、視聴率は1990年代の「冬の時代」よりは持ち直している。
1980年代に「8時の空」という10分の気象情報番組では、各地の天気カメラをつなぐ「お天気カメラリレー」を開始。
2005年3月末をもって、視聴率不振が続く『ウォッチ!』『(特)情報とってもインサイト』『ジャスト』『JNNニュースの森』などの平日ベルト番組を終了させるかつてない改編、通称「TBSの変」を敢行した。
- 『ウォッチ!』の後枠にはみのもんた司会の『みのもんたの朝ズバッ!』がスタート。
- 『とってもインサイト』の後枠には『きょう発プラス!』を昼のJNNニュースと統合・拡大して2時間番組として開始。
- 夕方ニュース枠は『イブニング・ファイブ(JNN枠は『JNNイブニング・ニュース』として区別)』として他局に追随し2時間のワイド編成となった。
- 2006年4月3日からは『ジャスト』を終了して以降、再放送枠になっていた平日14時台に、1年ぶりの生情報番組『2時ピタッ!』がスタートした。
- 『朝ズバッ!』『イブニング・ファイブ』は成功し番組は軌道に乗ったものの、『きょう発プラス!』『2時ピタッ!』は視聴率で苦戦し、双方の番組出演者・スタッフが担当する時間帯を一部入れ替えた形で、『ピンポン!』『2時っチャオ!』を2006年10月2日よりスタートさせた。
- 2008年4月にも大改編を実施し、従来日曜夕方に放映されていた『JNN報道特集』を土曜夕方に移動・拡大の上、『報道特集NEXT』としてリニューアルした。
- また、2008年10月には、プライムタイムを中心に大改編を行った。
- 2009年春の改編で最終便ニュース『NEWS23』の放送終了予定。さらに同年4月以降より月曜~金曜の18:00 - 19:54(JST)の時間帯に超大型報道番組を投入する為に『イブニング・ファイブ』[1]の終了が報じられており、昼の『ピンポン!』[2]も同時期の終了が報じられている事から、2009年春には報道番組の大規模改編が行なわれる見込み。
[編集] アニメ
- TBSでは1963年、平井和正原作によるSFアニメ『エイトマン』でアニメーション制作に参入した。日本のテレビ局による国産テレビアニメの参入はフジテレビに次いで2番目で、テレビアニメ黎明期の1960年代後半は『オバケのQ太郎』、『パーマン』、『怪物くん』などの藤子不二雄原作作品から『スーパージェッター』、『宇宙少年ソラン』、『冒険ガボテン島』など大ヒット作を連発した。
- 腸捻転時代の在阪準キー局であった朝日放送(ABC)とネットを組んでいた時代、ABCが制作した『ふしぎなメルモ』、『海のトリトン』、『ど根性ガエル』といった作品が大ヒットした。ABC制作作品の『はじめ人間ギャートルズ』は放送途中のネットチェンジでNETテレビ(現・テレビ朝日)系列に移動した。
- 近年、TBSが製作するテレビアニメ番組は自局または持分法適用会社のBSデジタルテレビ放送局・BS-iの、共に深夜枠(深夜アニメ)がほとんどである。
- TBS(JNN)ネットワークのアニメーション番組を長年支えてきたのは在阪準キー局の毎日放送(MBS、毎日新聞社との資本関係は様々な経緯から現在は解消したが、TBS・RKBと共に友好社となっている)であり、本放送以来約10年ぶりにゴールデン帯で再放送された『まんが日本昔ばなし』をはじめ、最近では『機動戦士ガンダムSEED』や『鋼の錬金術師』などのアニメ作品を制作してきた。
- また最近ではTBSが製作に携わりながら、当のTBSでは放映せず、排他協定の適用外とした上でUHFアニメとして放映される作品もある(ただし、BS-iなどTBS関連の衛星放送局で放映することがあるほか、過去にはRKB毎日放送で放映した作品もあった)。
- 2007年10月より2クール放映の『灼眼のシャナII (Second) 』(MBS製作)は、UHFアニメ(第1期はMBSが幹事局担当のUHFアニメだった)史上初めて続編が在京キー局系列で放映された(その逆は何度かあった)。
- 近年までMBS・中部日本放送(CBC)製作深夜アニメの逆ネットには消極的だったが、2006年4月以降は両局ともに1本ずつ逆ネットしている。
- 2008年4月現在、TBSではアニメ枠は週5本あるが(再放送は含まない)、そのうちの3本は系列局からの逆ネット枠(MBSから2本、CBCから1本)である。つまり、系列局から逆ネットするアニメが自社制作分より多い。
- アニメの表現規制はテレビ東京並みに厳しい。とりわけ、流血描写に関してはテレビ東京以上に厳しいなどと言われている。[要出典]。一方でMBS・CBCでは表現規制はかなり緩く、両局が共同でUHFアニメを放映することも多い。
- TBS制作の深夜アニメは在京局の中で字幕放送をいち早く導入しているが、ハイビジョン制作作品もサイドカットした標準画質(4:3)で放送されている。但し、単に機械的にカットするのではなく不自然な画面構成とならないよう場面に合わせてカットする位置を変えている。その為オープニングクレジットやエンディングクレジットも、それぞれの画角に合わせて別々に作られている(字の大きさや位置が異なる)。逆に、MBS制作の深夜アニメは16:9サイズと字幕放送が基本フォーマットとなっている。
[編集] 特撮
- TBSが制作していた特撮番組としては「ウルトラマン」シリーズが有名であるが、時間帯などの関係で「平成ウルトラマン」シリーズと呼ばれる「ウルトラマンティガ」-「ウルトラマンコスモス」はMBS、「ウルトラマンネクサス」以降はCBC制作となっている。
- 仮面ライダーストロンガー - 仮面ライダーBLACK RX以降の仮面ライダーシリーズの放映権も持っていたが(制作は初代シリーズからのMBS)、2000年に製作されたいわゆる「平成仮面ライダーシリーズ」の第一作となる仮面ライダークウガからは、共同制作している東映が大株主であり、初代シリーズから仮面ライダーアマゾンまでMBSからネット受けしていたテレビ朝日が制作・放送している。
[編集] ラジオ部門
詳細はTBSラジオ&コミュニケーションズを参照
- ラジオ放送事業は2001年10月1日付で既に制作会社として設立されていた株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズに放送免許を含め全事業を承継している。
- TBSラジオの聴取率は首都圏聴取率調査の首位を継続して獲得している[3]。
[編集] 沿革
- 1951年(昭和26年)5月、東京都千代田区霞ヶ関に資本金1億5千万円で株式会社ラジオ東京設立(設立登記5月17日)。 初代社長は足立正。
- 1951年(昭和26年)12月25日、東京都千代田区有楽町の毎日新館内のスタジオより全国6番目、関東地方では初となる民間中波放送の本放送開始。(コールサインJOKR、周波数1130kHz、出力50kW)
- 1953年(昭和28年)8月、周波数を950kHzに変更。
- 1953年(昭和28年)12月、"KRT"を略称とする(Kabusikigaisha Radio Tokyoから由来するが、テレビ放送開始をにらんだJOKR-TVにも因むといわれる。実際その通りになったが、世間一般にはほとんど浸透していなかった)。
- 1955年(昭和30年)4月1日、東京都港区赤坂一ツ木町(現在地)で地上アナログテレビジョン放送の本放送開始(呼出符号JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10kW、音声出力5kW。送信所も同所。なお世間一般には、新聞のテレビ欄表記から「KRテレビ」や「ラジオ東京テレビ」と呼ばれていた)。
- 1958年(昭和33年)10月31日、同局初のVTRを使ったテレビドラマ『私は貝になりたい』(加藤哲太郎題名・遺書、加藤哲太郎橋本忍脚本、岡本愛彦演出。VTRは前半で使用し、後半は生放送)を放送。大反響を呼び、この年の芸術祭大賞を受賞した(番組は全編ビデオテープにて現在も保存されている)。
- 1959年(昭和34年)8月1日、皇太子ご成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして「JNN(Japan News Network)」を結成。
- 1960年(昭和35年)1月17日、テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転。映像出力50kW、音声出力12.5kWに増力。
- 1960年(昭和35年)9月10日、カラーテレビ本放送を開始(カラー放送は開始当初1日平均5分のフィルムによる番組しか行っておらず、カラーVTRを同社はまだ使っていなかった。ちなみにNHK、日本テレビと共に東京地区では初だった)。
- 1960年(昭和35年)10月、東京証券取引所第一部に株式を上場。
- 1960年(昭和35年)11月29日、株式会社東京放送と商号変更し、略称をTBSとする。この頃、「東京テレビ」「東京ラジオ」という呼称を採用したものの、定着には至らなかった。
- 1961年(昭和36年)8月、電波を象徴した新社名ロゴタイプ(筆写体)制定。(デザイン:今道潤三、製作:市川景)
- 1961年(昭和36年)9月、コーポレートカラー「光の3原色(青・赤・緑=能力・熱意・責任)」制定。車両の塗装等に使用開始。
- 1961年(昭和36年)10月、「光の3原色」による社旗、社章(バッジ)制定。
- 1961年(昭和36年)10月12日、赤坂のテレビスタジオ隣に本社社屋完成。ラジオスタジオおよび本社機構を移転。
- 1961年(昭和36年)12月1日、社名呼称をTBSに統一(公用文等を除き、原則「東京放送」を使用しない)。
- 1962年(昭和37年)日本初のラジオ1波によるAMステレオ放送の実験放送を行う(1964年まで。AM/FM方式)。
- 1962年10月1日史上初の“キャスターニュース”且つネットワーク制作参加ニュース『JNNニュースコープ』スタート(初代キャスターは現・参議院議員の田英夫と元読売新聞記者の戸川猪佐武)。
- 1964年(昭和39年)10月10日、東京オリンピック開始に伴い、テレビ放送で、同社初の放送でのカラーVTRの稼動を始める(この開会式が、TBSが録画したもので残っている最古のカラービデオである)。
- 1965年(昭和40年)5月2日、ラジオネットワーク「JRN(Japan Radio Network)」を結成。
- 1967年(昭和42年)1月15日、『東芝日曜劇場・女と味噌汁』(1965年から始まった連続シリーズ)が局初のカラーテレビドラマ(カラーVTR録画・再生)として制作、放送。
- 1968年(昭和43年)9月30日、この日の夕方のテレビ『JNNニュースコープ』からテレビニュース報道のカラー放送を開始。これに伴い、カラーフィルムによるニュース取材を開始。
- 1969年(昭和44年)12月31日、『輝く!日本レコード大賞』をテレビ生中継(カラー)で放送。以後、毎年同局の大晦日の看板番組となる。
- 1971年(昭和46年)11月、ラジオの出力を100kWに増強。
- 1973年(昭和48年)12月20日、読売新聞社・朝日新聞社・毎日新聞社の3社首脳間で日本テレビとTBSの新聞資本を統一する合意が成立。翌1974年(昭和49年)2月、創立時からの新聞資本が毎日新聞社だけになる。
- 1974年(昭和49年)11月18日、近畿地方の準キー局が、これまでの朝日放送(ABC)から毎日放送(MBS)にネットチェンジすることで基本合意。ABCはこれまでMBSとネットを組んでいた日本教育テレビ(NET。現・テレビ朝日)とネットを組むことになる。
- 1975年(昭和50年)3月31日、テレビのTBS-MBSの新ネットワークがスタート。テレビネットワークのいわゆる“腸捻転”が解消され、NET系で放送されていた『アップダウンクイズ』や『八木治郎ショー』、『野生の王国』、『ヤングおー!おー!』[4]などのMBS制作番組がJNNのネットワークに引き継がれた。また、ラジオのJRNニュースネットワークもABCからMBSに移行した。
- 1977年8月29日、史上初の3時間ドラマ『海は甦る』(江藤淳・作、仲代達矢主演)を放送。なお番組中、スポンサーの日立製作所も史上初の3分CMを4本放送。
- 1978年(昭和53年)11月20日、テレビ音声多重放送を開始(実用化試験放送。最初の放送は「JNNニュースコープ」の2ヶ国語放送。同局のステレオ放送第1号は、同11月25日の「クイズダービー」。しかも、その「クイズダービー」は、おそらく世界初のステレオ放送のクイズ番組であった)。
- 1978年(昭和53年)11月23日、ITU(国際電気通信連合)の取り決めでラジオの周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもって、周波数を954kHzに変更。
- 1981年(昭和56年)3月、横浜市緑区(現:青葉区)に緑山スタジオ・シティ完成。
- 1981年(昭和56年)春頃、テレビ音声多重ステレオ放送で、音声媒体としてPCMデジタルプロセス(録音から編集、再生まで全て)を採用した当時としては画期的な番組を放送する(多分、世界初。内容は小沢征爾指揮によるストラビンスキー『春の祭典』。同じ演奏を映像と音声は別々にタイム・コード同期されて記録、編集し、再生され送出された。ただし、PCMデジタルプロセスを用いたにもかかわらず、放送自体はアナログである)。
- 1983年(昭和58年)11月、テレビ音声多重本放送開始。
- 1986年(昭和61年)4月、テレビ文字多重本放送開始。
- 1987年(昭和62年)10月、テレビ24時間放送開始。
- 1989年(平成元年)8月24日、テレビ・クリアビジョンの本放送を開始。
- 1990年(平成2年)頃、日本の放送業界で初めてテレビ放送の送出媒体として、D-2方式によるソニー製デジタルVTRを稼動開始(初めはCM送り出しに使用された)。
- 1990年(平成2年)12月2日、創立40周年事業として、宇宙特派員・秋山豊寛を乗せた宇宙船(ソユーズ)をソ連・カザフのバイコヌール宇宙基地から打ち上げる(「TBS宇宙プロジェクト」)。
- 1991年(平成3年)9月30日、コーポレートアイデンティティ(ミクロコスモス)導入。これに伴い、長年親しまれてきた筆記体マークを廃止(同局番組「ドリーム・プレス社」は番組のロゴとして筆記体マークを使用している)。
- 1992年(平成4年)3月15日午前9時、ラジオのAMステレオ放送の本放送を開始。
- 1992年(平成4年)12月30日、『元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ』を放送。
- 1994年(平成6年)3月、「ミクロコスモス」によるシンボルマーク、簡略形マーク、社名ロゴタイプを廃止。新ロゴタイプ(製作:小河原義一)に統一し、同3月28日から使用開始(現在も使用されている)。
- 1994年(平成6年)10月3日、現社屋「TBS放送センター」(愛称:ビッグハット)に移転。旧社屋は「赤坂メディアビル」に改称。正面ゲート守衛詰所・車両検問所の建屋は、円盤形の屋根がついていることからビッグハットにちなみ、“スモールハット”と称されている。この日は21時から約2時間、新社屋移転の特別番組が生放送された(運用開始したA・Bスタジオからの生放送や社屋移転で運用を終了した旧社屋Gスタジオ内部の様子も放送された)。
- 1998年(平成10年)4月1日、CS「JNNニュースバード」放送開始(2006年4月「TBSニュースバード」に名称変更)。
- 2000年(平成12年)2月、TBSグループ、JNN、TBSネットワークの共通新シンボルマークとして、漢字の“人”をモチーフにした「ジ〜ン」(一般公募)を制定。『JNNニュースの森』(当時)や『NEWS23』など全てのJNNニュース番組のサブタイトルや、MBSやCBCなど系列局制作も含めた全国ネット番組のクレジットタイトルなどで表示されている(現在はJNNニュース番組での表示は一部を除き無し)。また一部系列局でも、ローカルニュース番組のセットに使用されたことがある(現在は廃止されている)。
- 2000年(平成12年)3月21日、ラジオ現業部門を行う 株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ、テレビの娯楽番組制作を行う 株式会社TBSエンタテインメント、テレビのスポーツ番組制作を行う 株式会社TBSスポーツの3つの連結子会社を設立・分社化し事業を分割。
- 2000年(平成12年)12月1日午前11時、系列のBSデジタル放送「BS-i」(デジタルBS6Ch)放送開始。
- 2001年(平成13年)3月1日、情報番組・情報生番組の制作を行う連結子会社 株式会社TBSライブを設立・分社化し事業を分割。
- 2001年(平成13年)10月1日、中波放送局の免許(コールサイン:JOKR)を株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズに承継。これに伴いテレビ局のコールサインを変更(JOKR-TV→JORX-TV、呼出名称も「東京放送」から「TBSテレビジョン」に変更)。
- 2002年(平成14年)7月1日、CS放送局「TBSチャンネル」放送開始。
- 2003年(平成15年)7月1日、系列会社の株式会社木下プロダクションを商号変更・連結子会社化、事実上の第二エンタテインメント制作分社となる株式会社ドリマックス・テレビジョンを設立。
- 2003年(平成15年)12月1日午前11時、地上デジタルテレビジョン放送の本放送開始(当初は簡易マスターで対応。アナログ放送は既存のマスターを継続使用)。
- 2004年(平成16年)キャッチフレーズに“チャンネル・ロック”を採用。デジタルTVもアナTV同様6chであることを受け、固定(lock)や音楽(rock)の意味を込めた。
- 2004年(平成16年)10月、TBSエンタテインメントを存続会社とし、TBSスポーツ、TBSライブのテレビ子会社3社を合併・統合したテレビ制作事業子会社 株式会社TBSテレビを設立。
- 2005年(平成17年)2月7日 地上デジタルテレビジョン放送の送出を簡易マスターから本格統合型マスター(NEC製アナログ・デジタル統合マスター)に移行して運用開始。同時にアナログ放送も現社屋移転当日の1994年10月3日より稼動していたアナログ放送単独マスターから、本格統合型マスターに移行した。
- 2005年(平成17年)3月 TBS平日ワイド大改編『TBSの変』実施。
- 2005年(平成17年)7月20日 カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC/TSUTAYA)と共同で、DVDソフトの市場拡大に対応する映像ソフト事業の強化とモバイルやインターネットを利用したコンテンツ事業の拡大を目的とした企画会社「TCエンタテインメント株式会社」の設立を発表。
- 2005年(平成17年)8月30日 日興プリンシバル・インベストメンツと、韓国最大のドラマ制作会社「キム・ジョンハク プロダクション」に共同投資することを発表。