ニッポン放送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ニッポン放送 | |
|---|---|
| 英名 | Nippon Broadcasting System, Incorporated |
| 放送対象地域 | |
| 系列 | NRN系 |
| 略称 | LF |
| 愛称 | ニッポン放送 |
| コールサイン | JOLF |
| 開局日 | 1954年7月15日 |
| 本社 | 〒100-8439 東京都千代田区有楽町一丁目9番3号 |
| 演奏所 | 本社と同じ |
| 親局 / 出力 | 東京(木更津) 1242kHz / 100kW |
| 主な中継局 | ‐ |
| 公式サイト | http://www.jolf.co.jp/ |
|
特記事項:
|
|
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 略称 | LF |
| 本社所在地 | 〒100-8439 東京都千代田区有楽町一丁目9番3号 |
| 設立 | 2006年4月1日 (新設分割のため) |
| 業種 | 放送事業 |
| 事業内容 | 放送法に基づく一般放送事業(AMラジオ放送)ほか |
| 代表者 | 代表取締役会長 重村一 代表取締役社長 磯原裕 |
| 資本金 | 4億8000万円 |
| 売上高 | 292億600万円(2005年3月期) |
| 従業員数 | 187人(2006年4月1日現在) |
| 主要株主 | 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 100% |
| 関係する人物 | 植村甲午郎 |
| 外部リンク | http://www.jolf.co.jp/ |
|
特記事項:
|
|
株式会社ニッポン放送(ニッポンほうそう)は、関東広域圏を放送対象地域とするラジオ局である。略称・呼称はコールサインからLF(ただし、旧法人設立から1967年9月30日までの略称はNBS。尚、この略称は現在では長野放送が使用している)。
目次 |
[編集] 会社概要
- 産業経済新聞社やフジテレビジョンとともにフジサンケイグループを構成する中核企業である。文化放送と長く提携関係にあり、文化放送とともにラジオネットワーク「NRN」のキー局を務めている。
- もともと旧・フジテレビ(現・フジ・メディア・ホールディングス)の親会社的な存在であったが、2005年1月17日よりフジテレビによる子会社化を目的に株式公開買い付け(TOB)が実施される。同時期にインターネット関連会社ライブドアが、経営権奪取を目的として大量のニッポン放送株式を取得したが、同社との間で4月18日和解が成立し、9月1日にフジテレビの完全子会社になった。この件はさまざまな問題提起を残した。詳しくはニッポン放送の経営権問題を参照のこと。
- 「オールナイトニッポン」のキーステーションとして全国的には知られているが、リスナーからはしばしば葉書やお便りで「ニッポン放送」を漢字で「日本放送」と誤記されるため(これは創立時の社名でもある)、「ニッポンはカタカナでお願いします!」と言った後で、ニッポン放送の郵便番号を述べて葉書を募集する手順が通例である。その理由として、日本テレビや日本テレビ系の中波ラジオ局ラジオ日本(JORF)、NHKの国際放送「ラジオ日本」と混同されることが挙げられる。そのため外回りリポートの際には「ラジオのニッポン放送ですが」と言うことが多かったが、2005年のライブドアによる株式大量取得事件で一躍有名となって以降は、前記のことを言わなくなった(尚、大口郵便番号の指定以降は郵便番号さえちゃんと書けていれば葉書などは一応届くことになっている)。今でも、「ラジオビバリー昼ズ」の清水ミチコは「ニッポンはカタカナでお願いします!」と発言している。
- 本社・演奏所は、1997年3月24日~2004年9月5日の期間は、社屋建て直しのため、東京都港区台場のFCGビル(通称フジテレビ本社ビル)にあった。
- また、「オールナイトニッポン」の放送前後にはリスナーや担当パーソナリティのファンが玄関前で出待ちする光景がたまに見られる。
- 原則として4:30起点の24時間放送(土曜のみ5:00起点。日曜深夜1:30~月曜早朝4:30は休止)。
- レコード・CDの所有枚数は約22万枚。これはNHKについで多く、民放では最多の枚数を誇る。
- 送信機器は、開局当初から代々NEC製を使用している。これは、かつての大株主がNECであったことによる。
- ラジオマスターは、かつてNEC製を使用していたが、現在は、東芝製を使用している。
[編集] 歴代社長
[編集] 時報
- 時報音は開局以来現在まで鳩時計を模した特徴的なものを使用している。(同じものを秋田放送も使用)1992年3月15日よりAMステレオに対応したものに変更された。
- 「ピ(L)ポ(R)、ピ(L)ポ(R)、ピ(L)ポ(R)、ポーン(中央)」(ラ単音で鳩が鳴いてるような音である)
[編集] 送信所
[編集] 木更津送信所
- 送信アンテナ 120m支線式トラス鉄柱 サブ60m支線式トラス鉄柱 (施工電気興業)
- 旧送信機(1994年春まで) BN-7252V(NEC) MB-136C(NEC)いずれも真空管式
- 現送信機(1994年3月本格運用)MBT-9050A 50kWディジタル振幅変調方式(完全固体化)(NEC)×2台で100KW、設置工事NEC、鹿島建設 MBT9100A(NEC)
- 民間の大電力中波局の完全固体化としては文化放送の方が1年早かった(1993年3月運営)。但し文化放送はPWM(Pulse Width Modulation パルス帯域変調)方式であり、ディジタル振幅変調方式はニッポン放送が初めてである。PWM変調方式に比べて高電力変調増幅器が要らないため効率が良く消費電力も少なく発熱が少ない、変調時の歪みが少なく高品質の電波が出る、使用部品も少なくメンテナンスも楽など利点が多い。
- STL 送受信装置(日立国際電気)出力10W、1.8mグリッドパラボラアンテナ。バックアップ回線としてKDDI(開設時はTTNet)の光ファイバーとコーデック(英国APT社)を使用。
- プリエンファシス OPTIMOD-AM4300(orban) OPTIMOD-AM9100B(orban) OPTIMOD-AM9400(orban;導入予定)
- AMステレオエキサイタ AX-10(ブロードキャスト・エレクトロニクス)
- 送信局舎 鉄筋コンクリート 送信機室は2台のエアコン(総合10万kcal)で常時25度に保たれている
- 非常時用発電機 350kVA(三菱)
- 備考
1971年、100kW増力に伴い足立区から木更津市に移った。足立では1310kHz(kc)で50kWであったが、ここで増力すると強電界の影響を受ける世帯が多く、さらに世田谷、多摩、神奈川方面の難聴地域の対策にもならないため聴取率に響くことなどから木更津への移転を決めた。
このプロジェクトは名技術者高橋琢二の元に行われた。周波数は当初1310kHzの予定であったが、FEN(現AFN)810kHzのビート混信の懸念から郵政省(当時)から1240kHzに変更するよう指示があった。1240kHzへの変更には「モスクワ放送(1251kHz・1000kW)を妨害するため」などの諸説があるが、大電力局のため国際調整で1240kHzしかなかったというのが実情であろう。1978年に中波周波数が10kHz刻みから9kHz刻みに変更され、現在の1242kHzになった。
木更津送信所の電波は強力で、静岡県東部・中部(ニッポン放送の放送エリア西端)でも比較的良好に受信可能(特徴の項も参照)。また木更津送信所から直線距離で100km程度の場所では非常に受信状態が良くなることが、雑誌「ラジオパラダイス」での実験により確認されている。なお日中でも受信可能な限界は西は愛知県の知多半島辺りまでである。(大阪でも受信可能地区あり)電離層の反射具合が大きい冬場の場合、四国東部(特に徳島県の海沿い)だと10:00~15:00を除いた時間で聴取可能。また、グアムでは夜間に受信状態さえ良ければ、RFラジオ日本と共に聴取可能であった。早朝は韓国の一部でも受信可能。
ただ、送信所の位置関係(他の関東広域圏を放送対象地域とする中波放送はNHK等を含め埼玉県内から送信)から北関東でも聴取困難な地域がある他、都内においても新宿駅を過ぎた辺りからの中央線沿線や、練馬区以西の一部を中心に新宿新都心の超高層ビル群の影響で他局よりも受信感度が落ちる地域がある。受信エリア外で比較的良好に受信可能な地域は、秋田県の大潟村付近などが確認されている。受信エリア外では電波が電離層を反射して届く夜間のみの受信に限られるが、ほぼ全国的に聴取でき、ニッポン放送だけ放送されている番組を聴取する人が多い。地元局東北放送の周波数が近い宮城県がその好例である。近畿広域圏では毎日放送の混信が入る可能性がある。なお西日本の一部地域では同一周波数の韓国MBC原州局と混信する地域もある(皮肉にも親会社であるフジテレビとMBCは提携関係にある)。
[編集] 足立予備送信所
足立送信所は非常用に残されており、木更津送信所のトラブル時に出力1kWで送信される。毎年5月中旬に、定期検査のデータ採取のため、月曜未明の放送休止中に試験電波を流して電界強度測定を実施している。なお、試験電波を受信して受信報告書を送ると「足立予備送信所1KW 受信確認」の印鑑が押されたベリカードが送られる。
1986年9月、ナイター中継中に電力会社側での地絡事故により木更津送信所が停止、急遽被害を受けていない足立予備送信所から送信された。また2006年8月14日には木更津送信所付近で停電があり、その際もこちらから送信された。
[編集] 新聞番組表
- 産経新聞の関連放送局ということで、産経新聞(関東向け=朝刊のみ)のラジオ番組表では、番組タイトル部分をゴシック体で表記している。親会社フジテレビの番組欄は、黄色く網かけされている(休刊日前に2日分掲載するときなど、ときどき網かけしないこともある。また、テレビ欄にフジテレビの番宣広告が掲載された場合は当該番組のみ網かけされる)。
- また、多くの地方新聞では夜間~早朝に電波が全国で届きやすいことも配慮し朝刊のラジオ番組欄に文化放送、TBSラジオとともに深夜~翌朝の番組のみ掲載することが多いが、鳥取県の地方新聞である日本海新聞では関東のラジオ局で唯一当局を取り上げ、それを早朝からの全日分掲載しているが現地では通常昼間は電波は届かない。
[編集] 沿革
[編集] 設立~2002年
- 1953年(昭和28)12月23日 - 日本放送株式会社として予備免許取得。
- 1954年(昭和29)
- 1955年(昭和30) - ポニーキャニオンの前身となる関連会社 株式会社ニッポン放送事業社を設立。その後、1966年(昭和41)10月1日に株式会社ニッポン放送サービスへと発展。
- 1957年(昭和32)11月 - 東京地区のテレビ免許割り当てで、文化放送と共同でフジテレビジョン(以下フジテレビ)を設立。
- 1958年(昭和33) - 文化放送と共同でステレオ実験放送を実施。
- 1959年(昭和34)3月
- 株式会社深夜放送(後に株式会社フジサンケイエージェンシーへ)を設立。
- 24時間放送開始。
- 1962年(昭和37)11月 - 国内初のサテライトスタジオを小田急百貨店新宿店内に開設。
- 1965年(昭和40)5月3日 - 文化放送と共同で全国民放ラジオ31社を結ぶ全国ラジオネットワーク(NRN)を発足。
- 1967年(昭和42)10月1日 - 深夜放送の長寿番組『オールナイトニッポン』が放送開始。また、この頃略称をLFに変更。(NBSの略称は、現在長野放送が使用)
- 1971年(昭和46)
- 1972年(昭和47)10月1日 - オールナイトニッポン放送開始5周年。
- 1975年(昭和50) - 視覚障害者の為に音響装置付信号機その他を贈るべく、毎年12月24日から翌日12月25日にかけて24時間放送しているチャリティー番組『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』を開始。
- 1977年(昭和51)10月1日 - オールナイトニッポン放送開始10周年。
- 1978年(昭和53)
- 1981年(昭和56)12月 - 大型多目的公開スタジオ「ラジオハウス銀河」(第1スタジオを改装)完成。
- 1982年(昭和57)
- 2月16日 - プリエンファシスを導入。
- 10月1日 - オールナイトニッポン放送開始15周年。
- 1986年(昭和61)4月1日 - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、ロゴ・マークを現在の「目玉マーク」に変更。
- 1987年(昭和62)10月1日 - オールナイトニッポン放送開始20周年。
- 1991年(平成3)10月 - 「オールナイトニッポン」25年目突入を記念して、中島みゆき、タモリ、ビートたけし、笑福亭鶴光の各オールナイトニッポンが、一夜限りの復活放送特別番組を放送した。
- 1992年(平成4)
- 3月15日 - 午前9時からAMステレオ放送の本放送を開始(「右からきんさん・左からぎんさん」「元気にステレオ・ニッポン放送」ときんさんぎんさん出演によるCMが放送された)。それを記念した特番「これがニッポン放送のステレオだ! ステレオオープニングスペシャル」が生放送された。また時報もステレオ対応のものに変更。ニュース、交通情報のジングルを変更。
- 日枝グループにより鹿内宏明会長解任。
- 10月1日 - オールナイトニッポン放送開始25周年。
- 1994年(平成6)3月 - 国産初の全固体化大電力デジタル振幅変調方式の送信機(日本電気製 MBT-9050A)を導入。
- 1996年(平成8)12月2日 - 東京証券取引所第二部に株式を上場。
- 1997年(平成9)
- 3月24日 - 老朽化した社屋(糖業会館ビル)建て直しのため、本社を東京都港区台場(フジテレビ本社ビル 正式名称:FCGビル)に移転。
- 10月1日 - オールナイトニッポン放送開始30周年。 30周年を記念して、翌年3月までの間、過去のパーソナリティが登場する特別番組「オールナイトニッポンDX」を放送した。
- 1998年(平成10)
- 公式サイトを、フジサンケイグループのサイト内に開設[1]。
- 1999年(平成11)
- 2000年(平成12)
- 3月25日 - ニュース、交通情報のBGMを変更。(現在も使用)
- 12月1日 - BSフジの超短波放送チャンネルの一つとして「LFX488」の放送開始。『ブロードバンド!ニッポン』はじめ一部の番組はインターネットラジオとしても送信。BSデジタルラジオ用サイトlfx488.com開設。
- 2001年(平成13)
- BSデジタルラジオ用サイトを、lfx.jpに移転。
- 11月 - フジテレビ系列にて「福山雅治と西川貴教のオールナイトニッポンTV」が放送。
- 2002年(平成14)10月1日 - オールナイトニッポン放送開始35周年。
[編集] 2003年
- 7月 - 村上ファンドがニッポン放送発行済み株式の7%を取得(以後2004年3月までに19%近くまで買い増し筆頭株主となる)。
- 10月10日 - エフエム東京、ジャパンエフエムネットワークと共同で地上デジタルラジオ実用化試験放送「Digital Radio 98 The Voice」を開始。1セグメント放送だけでなく3セグメント放送の試験放送も行う。
[編集] 2004年
- 7月15日 - 開局50周年を記念した特別番組「ニッポン放送開局記念日スペシャル 笑顔が一番!あなたと一緒に50年」を放送。
- 9月6日 - 新社屋完成に伴い、本社を東京都千代田区有楽町(糖業会館・ニッポン放送本社ビル)に再移転。
[編集] 2005年
- 1月17日 - フジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)がニッポン放送発行済み株式の公開買付 (TOB) を発表(これにより両社の資本関係が逆転し、フジテレビの子会社になる予定だった)。
- 2月8日 - インターネット関係会社ライブドア(現:LDH)が子会社のライブドア・パートナーズと合わせて株式の35%を取得、ライブドアグループが筆頭株主となる。
- 2月10日 - フジテレビがニッポン放送株式TOBでの株式保有比率目標を「50%超」から「25%超」に引き下げ、買い付けの期限を3月2日まで延長すると発表。
- 2月23日 - フジテレビに対し4720万株分の新株予約権を割り当てると発表。
- 2月25日 - ライブドアがフジテレビを対象とした新株予約権発行を不服として東京地裁に発行差し止めの仮処分申請。
- 3月8日 - フジテレビによるニッポン放送株式TOBが成立、同社発行済み株式総数(3280万株)の36.47%を取得したと発表。
- 3月11日 - ライブドアの差止請求が認められ上記の新株予約権発行は無効に。ニッポン放送は東京高裁に対して即日抗告。
- 3月23日 - 上記の新株予約権発行差し止めの仮処分を不服としたニッポン放送の東京高裁に対する抗告が棄却された。同社は新株予約権発行を断念。
- 3月24日 - ニッポン放送はソフトバンク・インベストメント (SBI) に対して、ニッポン放送が現在所有するフジテレビ株を5年間の期限付きで貸し与えた。
- 3月27日 - 1955年以来、50年間続いた長寿番組『新日鉄コンサート』が終了。
- 4月18日 - ライブドアとフジテレビが和解、ライブドアグループが所有するニッポン放送株式全てをフジテレビに譲渡すると発表。フジテレビによる完全子会社化に目途が立つ。
- 4月22日 - ライブドアが「ニッポン放送株式をフジテレビと“共同保有している”」とした「大量保有報告書」を関東財務局に提出。
- 5月23日 - フジテレビがライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を「ニッポン放送ホールディングス」(2006年4月に存在した会社とは別の会社で、2005年7月12日にフジテレビと合併)に変更、フジテレビ保有のニッポン放送株式が合わせて68.87%となる。フジテレビによるニッポン放送の子会社化を円滑に進めるため、産業活力再生特別措置法の適用認定を申請。
- 5月24日 - ニッポン放送株式を東京証券取引所が監理ポストに割り当てる。
- 5月25日 - ニッポン放送が自社株式のTOBを開始。
- 6月10日 - 総務省が産業活力再生特別措置法の適用を認定。
- 6月16日 - ニッポン放送による自社株式のTOBが完了。ライブドアが保有する株式の大半を含む964万株を取得。これに伴いライブドアは主要株主から外れる。
- 6月22日-7月20日 - フジテレビの深夜ドラマ枠『ディビジョン1』で、ニッポン放送(主にオールナイトニッポンの制作現場)を舞台としたドラマ「1242kHz こちらニッポン放送」が放送(全4回)。この番組は6月22日深夜(正確には6月23日)の松浦亜弥のオールナイトニッポンで松浦がこのドラマの模様を解説。
- 6月24日 - 磯原裕専務が社長に就任、亀渕昭信社長は退任し相談役に。
- 6月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の整理ポストに移行。
- 6月30日 - SBIに貸し出されていたフジテレビ株式がニッポン放送に返却される。これによりニッポン放送がフジテレビの筆頭株主に復活。
- 7月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の上場廃止。
- 9月1日 - フジテレビとの間で株式交換を実施、フジテレビによるニッポン放送の完全子会社化完了。
- 10月3日 - 「ニッポン放送Podcasting STATION」を開設、ポッドキャスティングによるインターネットラジオ配信を開始。
- 12月25日 - フジテレビ系列にて「松任谷由実のオールナイトニッポンTV」が放送。
[編集] 2006年
- 1月19日 - 総務省がニッポン放送のラジオ事業部門の会社分割に伴う免許承継を認可。
- 3月31日 - BSフジの超短波放送チャンネル撤退にともない、「LFX488」の放送が終了。
- 4月1日(休日につき、登記は4月3日に実施)
- 「株式会社ニッポン放送ホールディングス」に商号変更すると共に、ラジオ事業会社としての新会社「株式会社ニッポン放送」が中波放送局免許及び中波ラジオ放送事業をニッポン放送ホールディングスから会社分割(新設分割)により承継。ロゴマークは新会社がそのまま承継した。
- ニッポン放送ホールディングスをフジテレビが吸収合併。
- アナウンサーを含む47人(全社員の約2割)を除いたすべての社員が新「ニッポン放送」に転籍、47人はニッポン放送ホールディングスのフジテレビへの合併によりフジテレビの社員になった(事実上のフジテレビへの転籍)。
- これにより、旧ニッポン放送(ニッポン放送ホールディングス)の子会社がフジテレビの子会社に、ニッポン放送がフジテレビの完全子会社になり、フジテレビを資本的にフジサンケイグループの統括会社にする作業が完了した。
- LFXBBを、地上デジタル音声実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーションLFX mudigiとしてリニューアル。
- 9月30日 - 4月の会社再編でフジテレビの社員になっていた元ニッポン放送アナウンサー全てが番組から降板、もしくは番組終了。
- 10月1日 - 地上デジタルラジオ実用化試験放送のチャンネルが、9501チャンネル(愛称mudigi)に移動し、1セグメント放送のみに変更。
[編集] 2007年
- 3月中旬 - Suono Dolce専用サイト開設(suono.jp)。
- 4月2日 - LFX mudigiを地上デジタルラジオ実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーションSuono Dolceとしてリニューアル。地上デジタルラジオのチャンネル名をD-JOLFに変更し、サブチャンネルのJOLF+を創設。
- 10月1日 - オールナイトニッポン放送開始40周年。
[編集] 2008年
- 1月29日・1月30日 - 北京オリンピックハンドボールアジア地区最終予選の再試合を行うにあたり、日本で行われる国際試合としてラジオ史上初のハンドボール実況生中継を放送。(ハンドボールのラジオ実況は1997年の熊本放送以来)
- 2月18日 - 番組が受け付けるFAX番号を一般電話番号からナビダイヤルに変更。
- 2月23日13:00-2月24日29:00 まで 「オールナイトニッポン」40周年の特別番組・「俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル」を放送した。ビートたけし・笑福亭鶴光・タモリ・松任谷由実・ウッチャンナンチャンなどの歴代パーソナリティーが久々に放送し、福山雅治・ナインティナインと現在のパーソナリティも放送した。
- 9月29日 - 地上デジタルラジオ「D-JOLF」のサブチャンネル「JOLF+」を、「ニッポン放送DIGITAL」に改称。地上波ニッポン放送のサイマル放送を開始。
[編集] 設備
- 糖業会館・ニッポン放送本社ビル
- 建て替え前は「糖業会館ビル」という名称で、社団法人糖業協会が所有していた。建て替えを機に合築し、共同所有となった。
- 地下4・3階、地上2・3階は、糖業協会が使用。地下1階はテナント「ニユートーキヨー 綴 TSUZURI」が使用。
- 地下2階
- imagineSTUDIO(イマジンスタジオ 第1スタジオ) - 大型多目的公開スタジオ。ジョン・レノンの楽曲「イマジン」に由来。壁面ガラスにジョン・レノンのサインが刻まれたプレートが埋め込まれている。
- 1階 - 受付・車庫
- 4階
- 帯番組の生放送に関しては、第2スタジオと第3スタジオを交互に使用している。
- マスター(東芝製を使用)
- 報道部
- テレフォンセンター
- 第2スタジオ - 生放送用スタジオ。窓からザ・ペニンシュラ東京や日比谷公園が見える。
- 第3スタジオ - 生放送用スタジオ。通称レトロスタジオ。かつては昭和30年代をイメージした家具・雑貨が置かれていたが、2006年に家具・雑貨は撤去されている。また、窓からDNタワー21が見える。
- 6階
- 第4スタジオ - 準放送用スタジオ。主に録音番組の収録に使用。
- 第5スタジオ - 準放送用スタジオ。主に録音番組の収録に使用。
- 第6スタジオ - 準放送用スタジオ。録音番組・地方局向け番組の収録に使用。
- 第7スタジオ - 準放送用スタジオ。主に録音番組の収録に使用。
- 編集室
- 9階
- スタジオX - インターネットラジオ・デジタルラジオ専用スタジオ。現在はSuono Dolceで使用している。かつてBSデジタルラジオLFX488専用スタジオとして設置・使用されていた。
[編集] サテライトスタジオ
ニッポン放送は1960年代前半、当時テレビに押され気味だったラジオの媒体価値を高めるべく、ラジオがより身近な存在である事をアピール。局舎以外に公開スタジオを設置する事となり、これをサテライトスタジオ(通称・サテスタ)と呼んだ。このサテスタ作戦は成功し、文化放送は追従したが、TBSラジオは背を向けた。現在でもFM局も含め、全国各局で採用されている。
- 新宿(小田急百貨店2階。現在は三菱東京UFJ銀行の一部 1962年-?)
- 新宿(伊勢丹内)
- 雷門サテライトスタジオ(浅草 常盤堂本店1階 現在は店舗の一部)
- 池袋(西武百貨店2階。現在は百貨店のディスプレイ)
- 銀座(三愛ドリームセンター内)
- 西銀座サテライトスタジオ(西銀座デパート1階 現在は隣接していた宝くじチャンスセンターが増床 サテライトスタジオのさきがけ)
- 有楽町Radio Town(有楽町 読売会館2階南側(ビックカメラ有楽町店内) 現在はビックカメラ有楽町店の一部 2001年6月-2004年3月)
[編集] ラジオカー
他社に先駆けて1960年頃に主要13交差点の混雑状況を報じる「交通ニュース」放送開始。その後アメリカのラジオ局にならい「ニッポン放送ヘリ情報」と題してヘリコプターから交通情報や報道を行っていたが、日本道路交通情報センターが設置され、そこからの中継に移行したためヘリは廃止された。その後1970年3月2日に街角からのレポート・報道中継を目的として、中波ラジオ局としては初めてラジオカーを導入。その後、各局が追随した。当初は2台(セダン型の車両を使用 愛称:ニッポン1号・ニッポン2号 塗装は、緑と白の塗り分け)で、JAFのロードサービス隊員が乗車していた。 車両には、車体側面に社名が、ボンネットにフジサンケイグループの目玉マークが、必ず描かれている。
- ラジオカー1号車 - 代々日産自動車の車が使用され、青色の塗装が施される。現在はエクストレイルを使用。「三宅裕司のサンデーハッピーパラダイス」の中継では、必ずこのラジオカーが使用される。
- ラジオカー2号車 - 代々トヨタ自動車の車が使用され、桃色の塗装が施される。現在はマークIIブリットを使用。
- ラジオカー3号車 - 黄色の塗装が施される。1号車・2号車と違い、メーカーが変遷している。
- 中継車 - ラジオカーの電波が受信基地に届かない場合に、ラジオカーの電波を受信基地まで中継するために使われる。現在はトヨタ・ランドクルーザーとトヨタ・ハイエースを使用。ハイエースは黒色で、車体側面にニッポン放送のロゴ・目玉マークがある。ランドクルーザーは、阪神・淡路大震災の際に被災者にポケットラジオを寄贈した際にも使用。
- マイクロバス - 別途機材を積んでラジオカーとして使用することがある。トヨタ・コースターを使用。
- ウェザーカー - 車体側面に青空をモチーフにした絵と番組名が塗装され、代々トヨタ自動車のトヨタ・エスティマが使用されている。2台所有。TOYOTA ハッピータウンサーキット専用。1999年に前身番組の「