大ベストセラー『14歳』に続く待望の最新作!3月30日千原ジュニア著 大絶賛発売中! 単行本発売記念対談

単行本発売記念対談

『3月30日』発売記念サイン会レポート

【プロフィール】
千原ジュニア(ちはら・じゅにあ)
本名・千原浩史(こうじ)。
1974年3月30日、京都府福知山市生まれ。1989年、実兄の千原せいじとお笑いコンビ“千原兄弟” を結成。主な著書に『14歳』(講談社)、『千原ジュニアの題と解』(太田出版)、『少年』『答え』(ともにリトルモア)など。

 

3月30日 千原ジュニア

 

書名 3月30日
著者 千原ジュニア
定価 1470円(税込)
発売日 2008年3月30日
出版社 講談社
ISBN 978-4-06-214600-5

 

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『14歳』千原ジュニア 書籍ページはこちら
『14歳』千原ジュニア 書籍ページ

 

千原ジュニアさんの最新作『3月30日』が2008年3月30日に発売されます。この作品は大ベストセラー『14歳』に続く自伝的小説。自分の笑いがまったくうけない苦悩と挫折、彼女との出会いと別れ、そして二度の“死の危機”を乗り越えて手に入れた大切なものを、独自の文章で描き上げた傑作です。

もしも戻れるなら、もう一度あの世界に戻りたいと想った。
もしも戻れるなら、あの人たちと同じ世界に
帰りたいと想った。
もう一度、笑いを創りたい。
もう一度、笑いたい。
絶対に。
  (『3月30日』本文より)

序章
…ちょっと読んでみる

 

第1章 15歳
挫折、初めての恋愛、大好きな祖父の死。
…ちょっと読んでみる

 

第2章 18歳
親友との出会い、芸人としての成功、先輩芸人の死。

 

第3章 20歳
二度目の大恋愛、阪神・淡路大震災、急性肝炎で死との闘い。

 

第4章 21歳
アメリカ旅行、『14歳』執筆。

 

第5章 22歳
東京進出、再び挫折、彼女との別れ。

 

第6章 26歳
生死を彷徨ったバイク事故、不可能と言われていたお笑い界に復帰。

神様、僕を殺しかけてくれてありがとう。 挫折、失恋、そして……。二度の“死の危機”の先に見えたものは?

神様、僕を殺しかけてくれてありがとう。 挫折、失恋、そして……。二度の“死の危機”の先に見えたものは?

HOT&COOL放熱対談! 「死にかけたらこそ、今がある!」

HOT&COOL放熱対談! 「死にかけたらこそ、今がある!」

国会議員の義家弘介(よしいえ・ひろゆき)とカリスマ芸人の千原ジュニア。まったく違う道を歩んでいるように見える二人だが、実は共通点が多い。同世代であり、祖父母に育てられた時期があり、学生時代は“引きこもり”……。そして死に直面した体験から、人生の軌道を大きく変えた二人でもある。熱き男とクールな男の放熱対談です!

対談の模様はこちら!

──意外な取り合わせのお二人ですが、実は共通点があるんですよね。どちらもバイク事故で生死の境をさまよい、みごと生還されました。


義家 「そうなんです。僕は大学4年生で、弁護士になる夢を追っていた頃でした。そのために勉強一筋で、バイトは日雇いの肉体労働、多分、疲れていたんでしょうね……。バイト帰りの真夜中、気づいたら民家の石塀に激突していたんです」
千原 「僕も夜中、急に動き出したタクシーを避けたら、石柱に激突でした」
義家 「ヘルメットはかぶっていたの?」
千原 「かぶっていたんですけど、ちょうど暖かくなってきた時期で、フルフェイスから半キャップに変えたんですよ」
義家 「半キャップで石柱に当たって、生きてたのも驚きですね」
千原 「それが、フルフェイスやと顔面は無傷だっただろうけど、衝撃がすべて首にきて、多分死んでいただろうと医者に言われました。半キャップだった分、衝撃を顔で受けたので、助かったそうなんです」


──お二人とも、数日後に目が覚めたら病院にいたそうですね。


義家 「僕は断片的に記憶があるんですけど、目が覚めると全身に激痛が走り、また気を失う、その繰り返し。それが手術前なのか、あとなのかはわかりませんが」
千原 「そういう感じですよね。一日のうちに1分くらい意識が戻る感じで」


── 一番、辛かったことは何でしたか?


義家 「もう、何もかもですよ。胃が破裂しているから、吐くのはすべて血で、呼吸できなくなる。腸も破裂してるから、下血がひどい。危篤になって、復活して、また危篤になって……という状態ですから」
千原 「僕はもう芸能界で仕事していたので、顔面がグチャグチャになっているのを鏡で見て、“ああ、もう芸人に戻られへんな”と感じたのが一番辛かったですね。“終わってもうた、これから何すんねん”と」
義家 「僕は危篤の最中に、生きることを決意したんですよ。グレていた頃に通っていた学校の先生が見舞いに来て、手を握りしめて、血を拭き取ってくれて。“あなたは私の夢だから、死なないで”と言ってくれたんです。最初は、4年も前に卒業したチンピラのために先生が来ているなんて、夢だと思いましたね。でも、だんだん現実だとわかって……、その時に“なんとしても生きよう”と決意しました」
千原 「僕も、先輩から後輩までいろんな芸人仲間が毎日ひっきりなしに見舞いに来てくれて、そこで勇気づけられましたね。僕はまったく話せない状態なので、目の前で芸人同士がバカ話をして帰っていく。病室が楽屋と化してました」
義家 「ハハハ、なるほど」
千原 「その会話を聞いていたら、“僕もその世界に戻りたい”と思いましたね」


──リハビリも辛いと聞きますが、その励ましが力になりました?


義家 「そうですね、先が見えないとやる気になりませんから。これは千原さんも同じだと思うんですけど……、小便の仕方、忘れてませんでした?」
千原 「あ〜、はいはい」
義家 「ずっと管がつながっていたから、それを抜いて“さあ、自分で”と言われても、出てこないんです。情けないくらい何もできなくなるので、歩けるようになった時は“生まれ変わったな”と思いました」
千原 「僕はとにかく病院がイヤやったんで、無理やり退院して自宅療養に切り替えたんです。後輩が毎日、世話をしに来てくれるんですが、夜になるとみんな家に帰って。一人になった時に、傷口にテープを貼ってシャワーを浴びたんですけど、そこで貧血で倒れたんです。4時間くらいシャワー浴びながら、意識はあるのにまったく動けなかった。地獄でしたね」


──それだけの苦しみを経て、復活されて……。この体験は、お二人の人生の転機となりましたね。義家さんは、弁護士から教師に志望を変え、ジュニアさんはお笑い観が変わったとか。


千原 「もしこの事故がなかったら、今とはまったく違う芸人でしょうね。簡単に言うと、“愛”が一番大きく変わりました。事故の前からたくさん受けていたんでしょうけど、まざまざと頭から愛をぶっかけられたのが、あの経験でした」
義家 「僕もあの事故がなければ、少なくとも教師にはなってなかった。生き返った時に、“僕は一人で生きてるんじゃない、まわりから生かされているんだ”と思ったんです。それまでいろんなものを憎んできたし、勝手に生きてきたと思っていたけど、あの経験で感謝することができた。千原さんと一緒で、愛を実感できたから。それならまわりに恩返ししなきゃいけない、誰かにそう思ってもらえる存在になろうと、教師を目指しました」


──ジュニアさんの『3月30日』、義家さんの『不良少年の夢』を読むと、あの事故はある意味、運命だったのかな、と思ってしまいますね。


義家 「僕はバカだったから、体で覚えるタイプなのかも。本を読んでも“ウソ言ってんじゃねぇよ”と思ったし、大人の道徳的説教なんて吐き気がしていた。その分、あの事故は理屈じゃなかっただけに、俺たちが選べるのは“いかに生きていくか”ということなんだな、と思いました」
千原 「僕も“生かされてる”感は感じますね」


──著書を読むと、お二人とも昔は「いつ死んでもいい」という感覚で生きていたような人生ですが、死生観も変わりましたか?


義家 「死の間際を体験したことは、ある意味では強さになってますね。だって、もう何も怖くないですから。怖いのは、自分を支えてくれる人を裏切ること。そのためにも少しでも気合を入れて生きていかないと」
千原 「僕は死生観というよりも、“死ぬか、笑いを取れるか”という考えになりました。笑いを取れない=死、やから。生きたいというよりも、笑かしたい、笑いたい、面白いことを言いたい、という気持ちでいっぱいでした。死んだらボケられへんなんて、イヤやな、と」


──芸能界復帰直後は、事故のことも笑いにしていましたね。


千原 「みんなも知ってることなら、笑いにするしかないなと思ったんです。芸人は、この世に笑われへんことなんてない、と考えますからね。そうすることで浄化もできたし、死にかけた甲斐もありました」
義家 「“死にかけた甲斐もあった”って、すごい言葉ですね(笑)。でも、僕も最後の一日まで生き抜きたい、と思うようになりました。一日長く生きるだけで、誰かに会える。その誰かに、何かを伝えられるかもしれない。そう思うと、この存在が続く限りは歩き続けたいですね。この道の端っこには、たくさん苦しんでるヤツがいるわけで。そういう人たちと出会える限り、どこまでも歩いていくことができるんです」


──最近は、自分の命を粗末にする人も多くいます。そんな人たちに、なんて声をかけてあげたいですか?

義家弘之 千原ジュニア


義家 「千原さんの言葉じゃないですけど、日常に笑いがあれば、死のうとは思わないんですよね。シンドイ時に何を探せばいいかというと、温かいものや笑顔。その材料を与えるのが、教育者であり芸人さんだと思うんです。そういう意味で僕と千原さんは、歩いている道は違っても共通なんですよ。人に笑顔を与えることで、自分も“生きていてよかった”と思えるしね。生きることは個人じゃなく、多くの人間関係があってのことなんですから」
千原 「特に学生さんで自殺する人が多いですけど、それは想像力の欠如だと思います。たとえ今イジメられているとしても、それが続くのはせいぜいあと3年。卒業して会社に入って、金ももらえて彼女もできて、そう考えたら“ここで死んでる場合ちゃうな”と思えるはず。目の前を見すぎて、先を想像できてない気がするんです」
義家 「みんな、知らないんですよ。“死んだら楽になる”といいますけど、生死の境目をさまよった僕に言わせると、全然楽じゃないですもん。誰も死後を経験してないんだから、死んで楽になるかなんてわからない。そんな不確かなものにすべてを賭けるくらいなら、今ある確かなものにかけたほうがよっぽどマシですよ。イジメてるヤツに立ち向かってもいい、自分を心配してくれる人に心を預けてもいい。死んで楽になるより、よっぽど確かですよ」


──たくさんの方々に勇気を与えているお二人ですが、今後の目標は?


義家 「最大の目標は、自分の学校をつくることです。その手段として、国会議員になっていろんなシステムを変えて、生徒たちの声を社会に届けているんです。そして最期はやはり、教室でこの生命を閉じたいですね。それが生かされたあの時の答えだと思うんです」
千原 「もし、その学校ができたら、ぜひ学園祭に呼んでもらえたらと(笑)。僕は、目標というのは特にないんですよね。ただ、死ぬまでやれたらなと思うだけです」
義家 「臨終までギャグにする、とか(笑)」
千原 「そうなったら、すごくいいですよね」


──ここまでのお二人のお話は、それぞれの著書により詳しく載っています。ジュニアさんの『3月30日』は、『14歳』に続く最新小説ですね。


義家 「千原さんはその日が誕生日なんですよね? 僕は3月31日が誕生日なんですよ。お互い、アリエスの男ですね(笑)」
千原 「ハハハ、ホントですね。『3月30日』は僕のことというより、まわりがどれだけ温かかったか、ということを綴った本です。“芸人の世界って、楽しいところやねんな”とちょっとでも思ってもらえたら、うれしいですね」


──義家さんは、多くの著書でご自身の体験や、教育に関して語っていますね。


義家 「僕の本は、単なる放熱です。教育は熱の伝達に他ならないと思うんですよね。それは学問の楽しさを伝えることだったり、生きることの意味を一緒に探すことでもある。もし震えている人間に届く熱があるのなら、それはラジオでも活字でも、あるいは教室でも社会でも、放熱し続けていくことが救ってもらった自分の務めだと思っています。その熱を感じてもらえたら、すごく幸せなことですね」
千原 「先生が書いた本と、チンピラ芸人の書いた本が、同列に並べられても、別物ですからねぇ」
義家 「いやいや、僕もチンピラ先生ですよ(笑)。同世代の千原さんからは、すごく影響を受けています。僕らの世代は、たくさん伝えるべきことがあると思うんですよ。そういう意味でも千原さんは、かなり筋の通った男ですよね」
千原 「ありがたいお言葉をいただきましたけど、まったくそんなことないです(笑)」


義家弘之 千原ジュニア



義家弘介(よしいえ・ひろゆき)
生年月日/1971年3月31日
出身地/長野県
血液型/O型
2007年、参議院選挙で当選。
レギュラー番組/『ヤンキー先生! 義家弘介の夢は逃げていかない』(ニッポン放送)など。
著書/『不良少年の夢』(光文社)、『ヤンキー母校に生きる』(文藝春秋)、『ヤンキー先生の教育改革』(幻冬舎)など。