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1998年10月26日(月)
陶磁器片 (海士・矢原遺跡出土) は中国製
長沙窯の水注破片と判明
研究者  「隠岐は日本海航路拠点」

島根県海士町の矢原(やんばら)遺跡から出土した陶磁器片が、9世紀前半、中国の長沙窯(ちょうさよう)で焼かれた水注(水差し)の破片であることが10月24日までに、研究者の鑑定で明らかになった。長沙窯の製品は「海のシルクロード」に沿って東西貿易が活発化した時代、最初に中国から輸出された貿易陶磁の一つ。日本国内ではわずかしか発見されておらず、山陰地方では初めて確認された。


  

9世紀前半は、日本の平安時代初期に当たり、中国では唐代末期。今回の鑑定結果について、陶磁器の研究者は「古代の隠岐が貿易で非常に活気に満ち、海のシルクロードのネットワークの一角に組み入れられていた可能性を示す重要な発見」と注目している。

矢原遺跡は、海士町西福井の平地の水田に位置。ほ場整備に伴い、同町教委が発掘調査した結果、昨年春までに奈良時代のすずりや、墨で字を書いた土器、建物跡などが出土。遺跡は役所跡だった可能性が高い。

出土品の中に、薄緑色のゆう薬がかかった長さ8センチ、幅6センチ、厚さ5ミリと、褐色のゆう薬を用いて樹木の文様を張り付けた長さ6センチ、幅3センチ、厚さ6ミリの陶磁器片2点が含まれていた。

破片の特徴から、島根県教委文化財課の西尾克己主幹が注目。福岡県太宰府市教委の山本信夫・文化財調査係長と広島県立美術館の村上勇・主任学芸員(益田市出身)が鑑定した結果、長沙窯で作られた水注の破片と判明した。

破片は同一個体の水注の取っ手が付く部分と、胴部の文様部分に当たる。同じタイプの水注が、福岡市南区の柏原遺跡などで出土しており、完形品は高さ約25センチ、胴部の直径約18センチと推定される。

村上主任学芸員は「隠岐から長沙窯の資料が見つかった意味は非常に大きい。古代、隠岐が日本海航路の拠点として活気を呈した時代があったことを物語る。隠岐が海のシルクロードの一角を占め、東アジア世界の中で地理的な優位を生かした可能性を示す」とみている。

長沙窯 中国・湖南省長沙市にあった陶磁器の窯。唐代から青磁や白磁、褐色のゆう薬を使った陶磁器を生産。8世紀から10世紀にかけて「海のシルクロード」にそって、広く中近東やアフリカなどにもたらされた初期貿易陶磁器の主力商品の一つ。エジプト・カイロのフスタートをはじめ、タイやインドネシアの古い貿易港などで破片や遺品が発見されており、日本国内では奈良・薬師寺や博多など20数例しか見つかっていない。

【写真左】矢原遺跡から出土し、中国、長沙窯で作られた水注の破片と鑑定された陶磁器片2点

【写真右】柏原遺跡(福岡市南区柏原)で出土した長沙窯の水注の実測図。矢原遺跡出土で見つかった物と同じタイプの品物=福岡市教委の報告書「柏原遺跡群O」より

−10月25日(日)山陰中央新報より転載−


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